Muzio Filippo Vincenzo Francesco Saverio Clementi

ムツィオ・クレメンティ
1752年1月23日 – 1832年3月10日 (80歳没)
教皇領 ローマ生まれ。
ピアニスト, オルガニスト, チェンバロ奏者。
生涯で約100曲ものピアノソナタを作曲しています。
ベートーヴェンは、「ピアノ曲に関してはモーツァルトの作品よりもクレメンティの方がピアニスティックで素晴らしい」と評価しているほど、高く評価されていました。
初期のソナチネは現代でもピアノ学習者、ピアノ学習者ではなくても音楽の教養を養うためにたくさんの人が取り入れています。
有名な「6つのソナチネ」op36
クレメンティと言えば、「6つのソナチネ」作品36。
元々は、裕福な貴族の学習用教材として書かれた作品でした。
1番から番号が増えるに従い、技術的に難しくなっていきます。
op36はは何回も改定されています。
フランスの作曲家であるエリック・サティは、1917年にソナチネ第1番を元にした『官僚的なソナチネ』を作曲しています。
年表
1752年
銀細工師の父ニコロとスイス人の母マクダレーナ(マダレーナ)との間に、7人兄弟姉妹の長男として誕生。
1759年( 7歳)
オルガニストの下でオルガンを学ぶ。
1761年( 9歳)
優秀な成績でオルガニストの試験に合格。
1779年(27歳)
王立劇場で指揮者に就任。
1780年(28歳)
春、パリへ旅行。
宮廷にてマリー・アントワネットの御前で演奏する。
1781年(29歳)
12月24日ウィーンにて神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世に招かれ、ロシアのパーヴェル大公(後のロシア皇帝パーヴェル1世)らをもてなす席で、当時25歳のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと共演します。
その後、モーツァルトは、父への手紙においてクレメンティを酷評しています。
モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart)
「クレメンティは、素晴らしいチェンバロ弾きだが、単なるいかさま師で、趣味や感情のひとかけらも持っていません。要するに彼は単なる機械的演奏家なのです。」
モーツァルト
一方でクレメンティは後に回想でこのように語っています。
「私は、あのときまであれほど魂のこもった優美な演奏を聴いたことがなかった」
クレメンティ
1782年(30歳)
ロンドンに拠点を構え、ピアニスト・教師・作曲家として活動します。
またピアノ製作と出版にも携わります。
傾きかけた出版会社の社長を務め、ベートーヴェンとも直接会い、一部の楽譜の出版もこなしたと言われています。
1785年(33歳)
2月、母がローマで死亡。
1798年(46歳)
1830年頃までピアノ製作会社(ロングマン&クレメンティ。後のコラード&コラード)を仲間と共同で設立運営。
後に1929年コラード&コラードはイングランドの楽譜出版&ピアノ製造会社であるチャペル& Co.に買収され1963年の火災でコラードとクレメンティの全ての記録が失われました。
1980年にはケンブルに売却されますが、2009年にケンブルはすべてのピアノ製造を終了しています。
現在ケンブルはヤマハのブランドの一部となっています。
1804年(52歳)
前年ベルリンで出会ったカロリーネ・レーマン嬢(18歳)と結婚。
1805年(53歳)
8月8日息子カールが誕生、しかし9日後に妻カロリーネ死亡。
1811年(59歳)
26歳のエマ・ギズボーン(Emma Gisborne)と2度目の結婚をする。
1813年(61歳)
ロンドンに在住する音楽家30名にてフィルハーモニック協会を設立。
1816年までクレメンティは常任指揮者を務めます。
1814年(62歳)
スウェーデン王立音楽アカデミーの会員に選出される。
1811年には、クンツェンが50歳でスウェーデン王立音楽アカデミーのメンバーに任命されています。
1832年3月10日(80歳)
死亡。
ウェストミンスター寺院で静かに眠っています。
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プロフィール

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音大を卒業後ピアニストとして活動。
日本で活動後北欧スウェーデンへ。
アーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツ・ケルンに渡りAchim Tangと共にアルバム作品制作。
帰国後、金田式DC録音の第一人者:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入り。
独立後音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現:Kotaro Studio)」を結成。
タンゴやクラシックなどアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
大阪ベンチャー研究会にて『芸術家皆起業論~変化する社会の中、芸術家で在り続けるために』を講演。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにて『あなたのためのアートスタジオ』音と絵をテーマに芸術家として活動中。
2023年より誰かのための癒しの場所『Curanz Sounds』をプロデュース。
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