ヨハン・ピーター・シュルツ (クーラウ関連人物)

Contents menu

Johann Abraham Peter Schulz

1747年3月31日 – 1800年6月10日 (53歳没)

シュルツ

1747年リューネブルク生まれ。

シュルツは1757年から1759年までリューネブルクの聖ミカエリス学校に通い、1759年から1764年までヨハネウムに通いました。

1765年、シュルツはベルリンの作曲家:ヨハンキルンベルガーに弟子入り、その後ベルリンで教鞭をとります。

Johann Philipp Kirnberger

1721年4月24日ザールフェルト生まれ – 1783年7月27日(62歳没)

音楽の父とも言われるヨハン・セバスティアン・バッハの学生でした。

彼は多くの時間をポーランドの民族舞踊の収集に費やし、論文Die Charaktere der Taenzeにまとめています。

1768年、キルンベルガーはシュルツを音楽教師および伴奏者としてポーランドのプリンセスサピエハヴォイウォディンフォンスモレンスクに推薦します。

シュルツは、オペラ、舞台音楽、オラトリオ、カンタータ、ピアノ曲、民謡を多く残しています。

作品

  • Sechs Klavierstücke, Op. 1, 1778
  • Sonata, Op. 2, 1778
  • Gesänge im Volkston, 1779
  • Lieder im Volkston, 1782, 1785, 1790.
  • Chansons Italiennes, 1782
  • Clarissa, operetta, 1775
  • La fée Urgèle, 1782
  • Aline, reine de Golconde, Rheinsberg 1787
  • Høstgildet, 1790
  • Indtoget, Syngespil, Copenhagen 1793
  • Peters bryllup, Syngespil, Copenhagen 1793
  • Music for 1785
  • Maria und Johannes, 1788
  • Kristi død, 1792
  • Des Erlösers letzte Stunde, 1794
  • 4 Hymns, 1791–1794

こうたろう

服部 洸太郎

フォトグラファー&サウンドデザイナー
ミュージシャンだった父の音楽スタジオと、モデルだった母の仕事場であるフォトスタジオの現像ルームが子供時代の遊び場という恵まれた環境で育つ。
音楽大学を卒業後ピアニストとして活動を開始。
自身のピアノトリオで活動後単身ドイツ・ケルンへ渡独。
ケルンを拠点に活動するアーティストAchim Tangと共に「ピアノとコントラバスのためのソナタ」を制作。
ドイツから帰国後ピアノソロ作品アルバムと共に同時リリース。
金田式電流伝送DC録音の第一人者である五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入り。
独立後、音楽プロデューサーとして音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックを中心としたアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加し、本格的に写真、映像技術を学ぶ。
現在は元ピアニストの経験を生かしたミュージシャンのライブフォトを得意としながら、肖像写真、動物写真、自然写真を中心にミュージックビデオの制作などオーディオ技術も得意とするフォトグラファーとして活動中。