Western music history

フリードリヒ・クンツェン (クーラウ関連人物)

Friedrich Ludwig Æmilius Kunzen

1761年9月24日– 1817年1月28日 (56歳没)

フリードリヒ・クーラウ (Kuhlau)

クンツェン

パブリックドメイン

1761年9月24日リューベック生まれ。

父のアドルフ・カール・クンツェンはオルガニストで、祖父のヨハン・ポール・クンツェン(1696-1757)は1720年代にハンブルクオペラの代表的な作曲家の一人でした。

クンツェンは1781年からキールにて法律の勉強を始めますが、音楽への熱い想いを捨てきれず、1784年に作曲家:ヨハン・アブラハム・ピーターシュルツに励まされ、音楽を追求するためコペンハーゲンに移住します。

デンマークへの移住生活

クンツェンはコペンハーゲンへ移住後、法廷やクラブでピアニストとして仕事をしていました。

1788年、クンツェンは若い作家:イェンス・イマニュエル・バゲセンと出会い、2人は翌年共同制作のオペラ「ホルガー・ダンスケ」を発表。

加熱民族主義バゲセンとドイツ人との関係についての論争を描いたこのオペラは多くのの嘲笑を受け波紋を呼び、その影響でクンツェンは一時的にデンマークを去り、ベルリン移りました。

パブリックドメイン
イェンス・イマニュエル・バゲセンは、1764年2月15日-1826年10月3日(62歳没)デンマーク の詩人、脚本家、評論家、漫画家。

1794年には妻と共にプラハに引っ越し、オペラ監督として働いていました。

翌年、彼はコペンハーゲンのロイヤルオーケストラの音楽監督の地位を与えられ、彼はすぐに受け入れ、1795年に妻と一緒に愛するコペンハーゲンの街に戻ります。

晩年

1809年に彼は教授に任命され、1811年に彼はダネブログ騎士団の騎士として栄誉を与えられ、スウェーデン王立音楽アカデミーのメンバーに任命されました。

メモクーラウがデンマークへ移住したのがちょうどこの頃。

フリードリヒ・クーラウ (Kuhlau)

1817年1月28日、クンツェンは脳卒中を起こし、1806年にウィーンで起こったとされるオペラ:トリッレハーペンに関する盗作疑惑の裁判中に亡くなりました。

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カルロス・ガルデル(青いタンゴ礁へ移動)

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ブエノスアイレスで発見された当時の筆記体の契約書(一部)もKotaro Studioのスペイン語担当:大長志野さんが翻訳してくれています。

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あっ、ガルデルの前に音楽の父を忘れていました。
まずはバッハ・・・話はそれからでしたね!

ヨハン・セバスティアン・バッハ (J. S. Bach)

再びタンゴ!
キングオブタンゴといえばこの人。

トロイロの楽器を発見!タンゴ博物館(青いタンゴ礁へ移動)

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ドメニコ・スカルラッティ

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ヨーゼフ・ハイドン

日本ではほとんど知られていない知る人ぞ知るバンドネオン奏者『ビクトール・ラバジェン』

ビクトール・ラバジェン(青いタンゴ礁へ移動)

こうたろう

音大を卒業後ピアニストとして活動。 日本で活動後北欧スウェーデンへ。 アーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。 その後ドイツ・ケルンに渡りAchim Tangと共にアルバム作品制作。 帰国後、金田式DC録音の第一人者:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入り。 独立後音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現:Kotaro Studio)」を結成。 タンゴやクラシックなどアコースティック音楽作品を多数プロデュース。 大阪ベンチャー研究会にて『芸術家皆起業論~変化する社会の中、芸術家で在り続けるために』を講演。 その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。 村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。 祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。 現在はKotaro Studioにて『あなたのためのアートスタジオ』音と絵をテーマに芸術家として活動中。 2023年より誰かのための癒しの場所『Curanz Sounds』をプロデュース。