バイオリンここに極まる! / 20世紀の巨匠バイオリニストを3人紹介
金田式DC録音でデジタル化した音源をYoutubeにてアップ(コンテンツIDチェック済み)していますので、是非視聴してください。
簡易紹介:こうたろう
1986年生まれ
音大卒業後日本、スウェーデン、ドイツにて音楽活動
その後金田式DC録音のスタジオに弟子入り
プログラミング(C)を株式会社ジオセンスのCEO小林一英氏よりを学ぶ
現在はヒーリングサウンド専門のピアニスト、またスタジオでは音響エンジニア、フォトグラファーなどマルチメディアクリエーターとして活動中
当記事ではプログラマー、音響エンジニアとして知識とスキルをシェアしていきます
関連サイト
ヤッシャ・ハイフェッツ
Yasha Ruvimovich Heifetz
1901年2月2日 – 1987年12月10日(86歳没)
20世紀を代表するヴァイオリニストであり、「ヴァイオリニストの王」と称されていました。
ジム・ホイル ( Jim Hoyle ) 名義で作曲活動も行っていました。
ハイフェッツはロシア帝国領ヴィリナ (現リトアニア領ヴィリニュス) にユダヤ人として生まれます。
3歳でヴァイオリンを始め、神童と呼ばれ、5歳でレオポルト・アウアー門下のイリヤ・ダヴィドヴィチ・マルキンに師事。
7歳でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏し、デビューを果たします。
1910年に、レオポルト・アウアーに師事するため、サンクトペテルブルク音楽院に入学。
1917年にはカーネギー・ホールでアメリカデビューも果たします。
同年のロシア革命を避けるため、そのままアメリカ在住の道を選び、1925年にアメリカの市民権を得ました。
音楽のみならず興味を持ったことに対する極度の完璧主義と、潔癖性癖の持ち主だったが、高知能者ギフテッドであったことを指摘する声もあがっています。
1972年に演奏活動から退き、1987年にロサンゼルスにて死去。
完璧主義なスタイルだけあって、演奏はまさに完璧です。
是非無伴奏での演奏を聴いてみてください。
彼の完璧主義的な演奏スタイルを存分に味わうことができます。
バイオリンという楽器の一つの完成モデルがここにあります。
ギドン・クレーメル
Gidon Markusovich Kremer
1947年2月27日生まれ。
ラトビア(生誕当時はソビエト社会主義共和国連邦)リガ出身の、ドイツ国籍を持つヴァイオリニストで指揮者です。
4歳の時から高名なヴァイオリニストでもある父と祖父よりヴァイオリンを習い始めます。
7歳の時にリガの音楽学校へ入学、16歳で早くも国内の音楽コンクールで優勝したりしていました。
その後モスクワ音楽院へ進学し、当時教壇に立っていたダヴィッド・オイストラフ(次に登場)に8年間師事します。
1967年、22歳の時にブリュッセルで開かれたエリザベート王妃国際音楽コンクールにて3位に入賞し、1969年のパガニーニ国際コンクールでは優勝、翌1970年のモスクワで開かれたチャイコフスキー国際コンクールでも優勝します。
金田式DC録音でデジタル化
この時に録音された作品が筆者の中では本当に最高傑作です。
残念ながらデジタル化されておらず、レコードでも中古市場を気長に探し続けるしかありません。
しかしながら、当スタジオの金田式DC録音技術でデジタル化した音源がありますので、是非一度聞いてみてください。
デジタル化している音源は海外を探せばたくさん出てくるかと思いますが、金田式DC録音でのデジタル化は世界広しといえどもおそらくKotaro Studioだけになります!
ソヴィエト連邦内のツアーを行った後、1975年にドイツで初めてのコンサートを開き、西側ヨーロッパでの鮮烈なデビューを飾りました。
1977年にはニューヨークへも進出し、アメリカでも名声を博します。
使用楽器は、ストラディバリ、1730年製グァルネリ・デル・ジェス“エクス・ダヴィッド”等を経、現在は1641年製ニコロ・アマティ。
自伝を含めた3冊の著作は日本語にも翻訳されている(『琴線の触れ合い』『小さなヴァイオリン』『クレーメル青春譜』)。
私生活では3度の結婚歴があり、2度目の妻はピアニストのエレーナ・バシュキロワ。
彼女はクレーメルと離婚後にダニエル・バレンボイムと再婚しています。
やはり無伴奏のバッハは外せないですね。
CD化されている音源で筆者が一番好きなのがこのアルバム。
ストラヴィンスキー、シュトックハウゼン、シュニトケという現代音楽作曲家の作品を楽しめます。
ダヴィッド・オイストラフ
1908年9月30日 – 1974年10月24日(66歳没)は、ロシア帝国のオデッサ(現:ウクライナ)出身のユダヤ系ヴァイオリニストです。
DAU. ナターシャ ~ ソ連のハニートラップ手法 / 感想と解説
5歳からヴァイオリンとビオラをピョートル・ストリャルスキーについて学びました。
1922年にソヴィエト連邦が成立した翌年、1923年からオデッサ音楽演劇学院で学び、1926年に卒業しました。
音楽院でオイストラフは和声とポリフォニーをニコライ・ヴィリンスキーの下で学びます。
さらに学生でありながら、オイストラフはオデッサ交響楽団でソリストあるいは指揮者としても活動していました。
1928年にソリストとしてレニングラードでデビュー。
その後、モスクワ音楽院で教鞭を執るかたわら演奏活動を続けますが、ソ連が第二次世界大戦に参戦すると、最前線に出て慰問演奏を行ないました。
1974年にアムステルダムで演奏旅行中に客死、遺体はモスクワに送られ、同地で埋葬されています。
使用楽器は1705年製ストラディヴァリウス「マルシック」。
チャイコフスキーやブラームスが得意と言われるオイストラフ。
本当に素晴らしい演奏を聴かせてくれます。
これらの音源や映像資料も大変貴重で素晴らしいですが、やはりなんといっても、チャイコフスキーのコンチェルトは聴いて欲しい。。。
いえ、持っておきたい。
そんな文化的財産のようなチャイコフスキーのコンチェルトはこちら
↓↓↓
金田式DC録音でデジタル化
見事な貫禄を感じる逸品。
弟子のギドンクレーメルのチャイコフスキーコンチェルトとの聴き比べは師弟愛が感じられ大変楽しめます!
もちろん他にも素晴らしいバイオリニストはたくさんいますが、筆者がいつも聴いている三人をピックアップして紹介させていただきました。
みなさんの参考になれば幸いです。