【作例】小西六 Pearl の歴史をざっくり紹介 使い方まで徹底解説
この記事の目次
- コスパ
- 9.0
- シャープネス
- 5.0
- 携帯性
- 9.0
- リセール
- 5.5
- 所有感
- 8.0
本日は645のスプリングカメラ小西六のパール、Pearl Ⅲについて紹介していきます。
後半では使い方についても動画付きで解説していますので是非最後まで読んでいってくださいね。
それに加えて645機(全シリーズ645)が欲しかったこと。
その中でも特にⅢにした理由は・・・
- フィルム送りが自動止め。
- 距離計が連動。
- Hexar 75mm F3.5採用。
- 実質の完成形。
執筆:こうたろう / 音楽家・宗教文化研究家
音楽大学で民族音楽を研究。
卒業後ピアニストとして活動。
インプロビゼーション哲学の研究のため北欧スウェーデンへ。
ドイツにて民族音楽研究家のAchim Tangと共同作品を制作リリース。
ドイツでStephan Schneider、日本で金田式DC録音の五島昭彦氏から音響学を学ぶ。
録音エンジニアとして独立し、芸術工房Pinocoaを結成。
オーストリア、アルゼンチンなど国内外の様々なアーティストをプロデュース。
写真家:村上宏治氏の映像チームで映像編集&音響を担当。
現在はヒーリング音響を研究するCuranz Soundsを立ち上げ、世界中に愛と調和の周波数を発信中。
Pearlシリーズを1938年から紹介
最初のセミパール(Semi Pearl, 1938年)が作られたのが1938年(昭和13年)でした。
1938年というと、3月13日にはナチス・ドイツがオーストリアを併合、日本では5月5日に国家総動員法施行というまさに第二次世界大戦が激化していく最中でした。
セミパールは120フィルムを使用するセミ判(645判)としてデビュー。
折りたたみ式のビューファインダーを装着する、戦前のものとしてはオーソドックスな折りたたみ式のスプリングカメラで、1938年の戦前型と、戦後1946年に復活した戦後型に大別できます。
レンズはOptor 7.5cm F4.5(3群3枚)またはHexar 75mm 7.5cm F4.5が採用されています。
作品撮影の場合はやはりポジフィルムが最高です。
日常の撮影ではネガフィルムもいいですね。
ネガの場合はやはりエクターが個人的には一番おすすめです。
独特の色彩感が好みに合えば最高です。
モノクロームは作品撮影、クオリティーを優先するならTmaxがやはり最もおすすめになります。
ただし、現像液が特殊なので、現像代が高額になったり、そもそも現像対応していないことも多いので注意が必要です。
日常撮影ではやはりアクロスを選択するのが無難だと思います。
作品撮影はやっぱりポジフィルム(リバーサルフィルム)!
色のごまかしも聞きませんので神経を研ぎ澄まして最高の一枚を制作する芸術の楽しみを存分に味わえます。
ポジフィルムは初めての人は結構感動すると思います。
ライトボックスなどで鑑賞してください。
初代パール(Pearl, 1949年)
レンズ | Hexar 75mm F4.5 |
シャッター | Durax / B, T, 1秒〜1/100秒 |
距離計 | 非連動 |
使用フィルム | 120 |
フィルム送り | 赤窓にて目視 |
シャッターチャージ | 手動 |
多重露光防止 | なし |
セミパールから10年近くの時を経て登場したパールの元祖と言える作品。
40年代はドイツでもカメラの製造は混乱を期しています。
戦後の混乱で様々なメーカーが吸収合併されていき、戦後に生き残ったメーカーやブランドは勢いを加速させていきます。
パール RS(Pearl RS, 1950年)
レンズ | Hexar 75mm F4.5 |
シャッター | Koni Rapid / B, T, 1秒〜1/500秒 |
距離計 | 非連動 |
使用フィルム | 120 |
フィルム送り | 赤窓にて目視 |
シャッターチャージ | 手動 |
多重露光防止 | なし |
1950年10月に発売。
先代からの進化ポイントはシャッター速度が1/100秒(Durax)から1/500秒(Koni Rapid)になったこと。
この進化はかなり大きかったのではないかと思われます。
レンズ自体は75mmF4.5。
レンジファインダー機なので、1/100秒でも手持ちでガンガン撮影できたとは思いますが、やはり1/500秒あると、なんとなく手持ちでも心の余裕というか、ガンガン撮りたい気持ちになってきます。
パールII(Pearl II, 1951年)
レンズ | Hexar 75mm F4.5 Hexar 75mm F3.5 |
シャッター | Koni Rapid / B, T, 1秒〜1/500秒 |
距離計 | 連動 |
使用フィルム | 120 |
フィルム送り | 赤窓にて目視 |
シャッターチャージ | 手動 |
多重露光防止 | なし |
レンズが75mm F3.5になり、距離計が連動するタイプになりました。
距離計の連動で撮影のハードルはかなり下がったと言えそうです。
パールIIB(Pearl IIB, 1951年)
レンズ | Hexar 75mm F3.5 |
シャッター | Dulax S / B, T, 1秒〜1/400秒 |
距離計 | 連動 |
使用フィルム | 120 |
フィルム送り | 赤窓にて目視 |
シャッターチャージ | 手動 |
多重露光防止 | なし |
シャッター速度がマックス1/400秒であるDulax-S採用なのが大きなポイント。
レンズはF3.5のみになりました。
パールIII(Pearl III, 1955年)
レンズ | Hexar 75mm F3.5 |
シャッター | Konirapid-S/Seikosha MX/Seikosha MXL / B, T, 1秒〜1/500秒 |
距離計 | 連動 |
使用フィルム | 120 |
フィルム送り | 自動巻き止め |
シャッターチャージ | 手動 |
多重露光防止 | なし |
1955年12月発売。
実質完成形?
とも思える完璧な仕上がりになっています。
距離計は連動でフィルム送りが赤窓から自動巻止めに変わりました。
フィルムの巻きが自動で止まるというのは非常に重要。
これで撮影だけに集中することができるようになりました。
1955年はどんな年だったかというと、5月25日には広辞苑初版が発行(岩波書店)、8月7日に東京通信工業が初のトランジスタラジオ発売。
著名人でいうと、コメディアンの明石家さんま(7月1日)さんや、実業家のビルゲイツ(10月28日)、俳優の役所広司(12月27日)さんたちが誕生した年になっています。
パールIV(Pearl IV, 1958年)
レンズ | Hexar 75mm F3.5 |
シャッター | Seikosha MXL / B, T, 1秒〜1/500秒 |
距離計 | 連動 |
使用フィルム | 120 |
フィルム送り | 自動巻き止め |
シャッターチャージ | セルフコッキング |
多重露光防止 | あり |
パールIIIからセルフコッキングでシャッターチャージは巻き上げと連動する機能が付きました。
また、ファインダーも採光式ブライトフレームになり、板金ボディだったシリーズですが、Ⅳからはダイカスト製となり堅牢かつ精度が向上しましたが、大型化してしまいました。
主にアルミニウム、マグネシウム、亜鉛などの合金が含まれています。
完成度は非常に高いカメラとなっていますが、時代的背景として高級35mmが市場を席巻し始めた時期と重なったこともあり、わずか半年ほどの生産でした。
諸説ありますが、約5000台前後の生産台数だったとも言われています。
ライカではM3後期型の時期です。
小西六Pearlの特徴
蛇腹式レンズなのでコンパクトに持ち運べる
これはリンホフなどの大判カメラにも当てはまりますが、蛇腹式のカメラは折り畳めるため非常にコンパクトに持ち運べるのが特徴です。
例えば筆者はぷらっと散歩するときなんかはこのショルダーバッグで出かけますが、ハッセルブラッドはもちろんライカでも、レンズの突起が気になり気軽に持ち出せませんが、蛇腹式のPearlだと、さっと収納することができます。
旅の途中にさっと645フィルムカメラで撮影できるというのは嬉しいポイントですよね。
いろいろな点で異なるカメラなので比較対象にはなりませんが、例えばペンタックスの645フィルムカメラの場合と比べると蛇腹式の収納力に驚かされます。
この感覚。
コンパクトフィルムカメラ!
でも645!
名機Hexar 75mm F3.5が使える
オールドレンズ界では他のマウントに改造してでも使う人がいるほど独特の描写を出してくれるHexar。
小西六というと、Hexarというレンズは知ってるという方も多いかもしれません。
中判スプリングカメラのブームは短く、状態のいいものも多いのでこのレンズを使いたくて購入するというのもPearl購入の動機になるかもしれませんね。
経年劣化には注意
中古品を選ぶ際のポイントにもなりますが、蛇腹部分は破れやすいですし、撮影のたびに出し入れするため劣化しやすいのが特徴です。
外で撮影する際も、蛇腹部分には特に細心の注意をはらって撮影する必要があります。
現在は蛇腹の交換をしてくれる場所も見つけるのが難しいので、丁寧に扱いましょう。
いろいろ調べてみると、どうやら熊本にある中村光学さんだとOHを受け付けてくれるそうです。
小西六 フィルムの入れ方
PearlⅢでの例になりますので、自動ストップがかかり、フィルムの巻き上げのたびにロックを外します。
スプールの高さですが、結構ギリギリに設計されていて、これは個体差ではなくそういう設計ですのでうまくはめるようにしてください。
蛇腹部分は勢いよく飛び出しますので、あまり頻繁に勢いよく出し入れするとやはり劣化が進む原因になりますので、手を添えつつ優しく取り扱ってあげましょう。
小西六Pearl Ⅲの作例:ポジフィルム
ポジフィルムにて撮影してみたのでほんの少しですがご紹介。
いきなりの多重露光ですが、これ狙って撮影したわけではなく、単にフィルムの巻き忘れ。
小西六はレンズシャッター式で、ハッセルのようにフィルムボックスと連動していないため、巻いたっけな?
と忘れがちです。
通常多重露光というと、フィルム巻き戻しボタンなりレバーなどでシャッターを空チャージしてから撮影しないといけない小技ですが、小西六なら失敗でこういうことがありえます。
もう一枚多重露光しちゃった例。
本当にたまたま似たような写真を連続で撮ったので起こったミラクル(?)
これはこれでよしとしましょう。
公園でおじさんをパシャリ。
やはり古いカメラなのでピント合わせがかなり大変です。
ちょっとずれちゃってますが、これはこれで味があるかもしれません。
こちらもピントが・・・
手持ちで長時間露光しています。
確か1秒くらいだったかな。
シャッターのショックはほとんどないので、1秒とかも頑張っちゃおうという気にさせてくれます。
杉浦六三郎について
1847年(弘化3年)- 1921年(大正10年)74歳没)。
日本の実業家。
コニカ株式会社(現・コニカミノルタ株式会社)の創始者です。
別名、6代目杉浦六衛門、小西六衛門。
出展:『写真とともに百年』小西六写真工業株式会社社史編纂室編、1973年(昭和48)年より
引用:東京工芸大学
この織田織之助氏に撮影してもらった肖像写真を見たことをきっかけに写真、カメラ業界へ進むことになりました。
1920(大正9)年4月26日には、アメリカの企業で、世界最大の写真企業に成長したイーストマン・コダック(Eastman Kodak Company)の創業者ジョージ・イーストマン(George Eastman、1854-1932)の訪問も受けています。
詳しくはハッセルブラッドの歴史を参照してください。
Hasselblad (ハッセルブラッド)の歴史を徹底解説!
アメリカ経済連盟視察団の一員として来日していたイーストマンは、当時日本で最大の取引先であった小西本店を表敬訪問しました。
このときに撮影された写真は「日米写真王の会見」として有名です。
出展:『写真月報』1920年5月号より
引用:東京工芸大学
杉浦六三郎は、「日本の写真技術の振興に寄与する人材を世に送り出し、国家の発展に貢献するためには写真教育を行う専門の学校が必要である」という理想を提唱していました。
1923年(大正12年)に六三郎の遺志を継承した長男・7代目杉浦六衛門は日本で最初の写真専門学校(現:東京工芸大学)を設立しました。
まとめ
- 蛇腹式でコンパクトに使える反面、メンテナンスや耐久性には難あり。
- 杉浦六三郎という日本写真業界の礎となる存在が背景にいる。
- ヘクサーレンズは知る人ぞ知る名レンズ。
- PearlⅢが実質の完成形であり、Ⅳは製造数が少なく、狙うなら状態のいいⅢが賢明。
- レンタルは難しい。
構造自体はリンホフなどの大判カメラと同じ蛇腹式。
アオリ撮影などはできませんが、スプリングカメラに慣れておくと大判へも移行しやすい。
645サイズで16カット撮影できます。
これもなんというかフィルムのサブ機としては絶妙感があります。
35mmでの撮影はちょっと多すぎる、でもハッセルなどの66だと10カット。
日常でのスナップではちょっと寂しい。
というときなどに気軽に持ち出せて35mmよりは贅沢に撮影できる。
この絶妙感は最高です。
蛇腹部分は和紙でできているため、不安は残りますが、和紙は大切に使えば1000年持つとも言われる素材です。
湿気や紫外線に注意しながら大切に使い続ければ今から買っても一生ものになると言えます。
オーバーホールなどができる方、場所が限られてきていますが、カメラというこの文化遺産をいつまでも大切に受け継いでいきたいものですね。
ルックスが独特で存在感があるので、お店の飾り物としても人気のカメラです。
その他のスプリングカメラ
- ツァイス・イコンのイコンタシリーズ
- フォクトレンダーのベッサシリーズ
- ドイツコダックのレチナシリーズ
- フォクトレンダーのビトーII
- マミヤのマミヤシックスシリーズ
などがスプリングカメラとして有名です。