【作例】小西六 Pearl の歴史をざっくり紹介 使い方まで徹底解説

小西六Pearl Ⅲを購入しました。

645のスプリングカメラ小西六のパールについてざっくり紹介していきます。

Pearl Ⅲを選んだポイントオールドレンズ界隈ではしばしば伝説の名機として語られることの多いヘキサー(Hexar)を使ってみたかったというのも一つです。
それに加えて645機(全シリーズ645)が欲しかったのもポイントでした。
その中でも特にⅢにした理由は・・・
      
  1. フィルム送りが自動止め。
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  3. 距離計が連動。
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  5. Hexar 75mm F3.5採用。
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  7. 実質の完成形。
メモちなみにスプリングカメラという名前はレンズの収納にスプリングが付いているからということではなく、ドイツ語のスプリンゲン(飛び出す)が由来となっています。

Pearlシリーズ

セミパール(Semi Pearl, 1938年)

最初のセミパールが作られたのが1938年(昭和13年)でした。

1938年というと、3月13日にはナチス・ドイツがオーストリアを併合、日本では5月5日に国家総動員法施行というまさに第二次世界大戦が激化していく最中でした。

120フィルムを使用するセミ判(645判)としてデビュー。

折りたたみ式のビューファインダーを装着する、戦前のものとしてはオーソドックスな折りたたみ式のスプリングカメラで、1938年の戦前型と、戦後1946年に復活した戦後型に大別できます。

レンズはOptor 7.5cm F4.5(3群3枚)またはHexar 75mm 7.5cm F4.5が採用されています。

初代パール(Pearl, 1949年)

レンズHexar 75mm F4.5
シャッターDurax / B, T, 1秒〜1/100秒
距離計非連動
使用フィルム120
フィルム送り赤窓にて目視
シャッターチャージ手動
多重露光防止なし

セミパールから10年近くの時を経て登場したパールの元祖と言える作品。

40年代はドイツでもカメラの製造は混乱を期しています。

バルナック型ライカの歴史を辿る / Oskar Barnack

戦後の混乱で様々なメーカーが吸収合併されていき、戦後に生き残ったメーカーやブランドは勢いを加速させていきます。

このPerlは距離計が連動ではないため、手動で調整が必要な機種でした。
メモ初代Pearl発売の1949年(昭和24年)5月に小西六写真工業株式会社は東京証券取引所に上場しました。

株式市場の歴史をざっくり把握する / Stock market

パール RS(Pearl RS, 1950年)

レンズHexar 75mm F4.5
シャッターKoni Rapid / B, T, 1秒〜1/500秒
距離計非連動
使用フィルム120
フィルム送り赤窓にて目視
シャッターチャージ手動
多重露光防止なし

1950年10月に発売。

先代からの進化ポイントはシャッター速度が1/100秒(Durax)から1/500秒(Koni Rapid)になったこと。

この進化はかなり大きかったのではないかと思われます。

レンズ自体は75mmF4.5。

レンジファインダー機なので、1/100秒でも手持ちでガンガン撮影できたとは思いますが、やはり1/500秒あると、なんとなく手持ちでも心の余裕というか、ガンガン撮りたい気持ちになってきます。

パールII(Pearl II, 1951年)

レンズHexar 75mm F4.5
Hexar 75mm F3.5
シャッターKoni Rapid / B, T, 1秒〜1/500秒
距離計連動
使用フィルム120
フィルム送り赤窓にて目視
シャッターチャージ手動
多重露光防止なし

レンズが75mm F3.5になり、距離計が連動するタイプになりました。

距離計の連動で撮影のハードルはかなり下がったと言えそうです。

パールIIB(Pearl IIB, 1951年)

レンズHexar 75mm F3.5
シャッターDulax S / B, T, 1秒〜1/400秒
距離計連動
使用フィルム120
フィルム送り赤窓にて目視
シャッターチャージ手動
多重露光防止なし

シャッター速度がマックス1/400秒であるDulax-S採用なのが大きなポイント。

レンズはF3.5のみになりました。

パールIII(Pearl III, 1955年)

Makro-Planar CF 120mm F4 T* + Sony a6500
レンズHexar 75mm F3.5
シャッターKonirapid-S/Seikosha MX/Seikosha MXL / B, T, 1秒〜1/500秒
距離計連動
使用フィルム120
フィルム送り自動巻き止め
シャッターチャージ手動
多重露光防止なし

1955年12月発売。

実質完成形?

とも思える完璧な仕上がりになっています。

ポイントPearl IVも発売されており、最終形はPearl IVではありますが、バルナック型ライカでいうところのⅢgがあるけど、Ⅲfが完成形・・・と言われる感覚と近いかもしれません。

距離計は連動でフィルム送りが赤窓から自動巻止めに変わりました。

Makro-Planar CF 120mm F4 T* + Sony a6500

フィルムの巻きが自動で止まるというのは非常に重要。

これで撮影だけに集中することができるようになりました。

1955年はどんな年だったかというと、5月25日には広辞苑初版が発行(岩波書店)、8月7日に東京通信工業が初のトランジスタラジオ発売。

著名人でいうと、コメディアンの明石家さんま(7月1日)さんや、実業家のビルゲイツ(10月28日)、俳優の役所広司(12月27日)さんたちが誕生した年になっています。

パールIV(Pearl IV, 1958年)

レンズHexar 75mm F3.5
シャッターSeikosha MXL / B, T, 1秒〜1/500秒
距離計連動
使用フィルム120
フィルム送り自動巻き止め
シャッターチャージセルフコッキング
多重露光防止あり

パールIIIからセルフコッキングでシャッターチャージは巻き上げと連動する機能が付きました。

また、ファインダーも採光式ブライトフレームになり、板金ボディだったシリーズですが、Ⅳからはダイカスト製となり堅牢かつ精度が向上しましたが、大型化してしまいました。

ダイカスト製とは・・・溶かした非鉄金属の合金を、精密な金型に高速・高圧で注入、瞬時に製品を成形する鋳造技術。
主にアルミニウム、マグネシウム、亜鉛などの合金が含まれています。

完成度は非常に高いカメラとなっていますが、時代的背景として高級35mmが市場を席巻し始めた時期と重なったこともあり、わずか半年ほどの生産でした。

諸説ありますが、約5000台前後の生産台数だったとも言われています。

ライカではM3後期型の時期です。

小西六Pearlの特徴

蛇腹式レンズなのでコンパクトに持ち運べる

これはリンホフなどの大判カメラにも当てはまりますが、蛇腹式のカメラは折り畳めるため非常にコンパクトに持ち運べるのが特徴です。

例えば筆者はぷらっと散歩するときなんかはこのショルダーバッグで出かけますが、ハッセルブラッドはもちろんライカでも、レンズの突起が気になり気軽に持ち出せませんが、蛇腹式のPearlだと、さっと収納することができます。

ちなみにこのショルダーバッグは海外旅行の際も第二の手荷物として認められることが多い(要確認)ので、旅の途中にさっと645フィルムカメラで撮影できるというのは嬉しいポイントですよね。

いろいろな点で異なるカメラなので比較対象にはなりませんが、例えばペンタックスの645フィルムカメラの場合と比べると蛇腹式の収納力に驚かされます。

Makro-Planar CF 120mm F4 T* + Sony a6500

この感覚。

コンパクトフィルムカメラ!でも645!

名機Hexar 75mm F3.5が使える

オールドレンズ界では他のマウントに改造してでも使う人がいるほど独特の描写を出してくれるHexar。

小西六というと、Hexarというレンズは知ってるという方も多いかもしれません。

中判スプリングカメラのブームは短く、状態のいいものも多いのでこのレンズを使いたくて購入するというのもPearl購入の動機になるかもしれませんね。

経年劣化には注意

中古品を選ぶ際のポイントにもなりますが、蛇腹部分は破れやすいですし、撮影のたびに出し入れするため劣化しやすいのが特徴です。

メモPearlシリーズの蛇腹部分は和紙で作られています。

外で撮影する際も、蛇腹部分には特に細心の注意をはらって撮影する必要があります。

現在は蛇腹の交換をしてくれる場所も見つけるのが難しいので、丁寧に扱いましょう。

いろいろ調べてみると、どうやら熊本にある中村光学さんだとOHを受け付けてくれるそうです。

中村光学さんのブログ

フィルムの入れ方

動画で紹介フィルムの入れ方はやはり言葉よりも動画で見た方がわかりやすいと思いますので収録しました。
PearlⅢでの例になりますので、自動ストップがかかり、フィルムの巻き上げのたびにロックを外します。
スプールの高さですが、結構ギリギリに設計されていて、これは個体差ではなくそういう設計ですのでうまくはめるようにしてください。
蛇腹部分は勢いよく飛び出しますので、あまり頻繁に勢いよく出し入れするとやはり劣化が進む原因になりますので、手を添えつつ優しく取り扱ってあげましょう。

小西六Pearl Ⅲの作例:ポジフィルム

ポジフィルムにて撮影してみたのでほんの少しですがご紹介。

小西六Pearl Ⅲ

いきなりの多重露光ですが、これ狙って撮影したわけではなく、単にフィルムの巻き忘れ。

小西六はレンズシャッター式で、ハッセルのようにフィルムボックスと連動していないため、巻いたっけな?

と忘れがちです。

通常多重露光というと、フィルム巻き戻しボタンなりレバーなどでシャッターを空チャージしてから撮影しないといけない小技ですが、小西六なら失敗でこういうことがありえます。

もう一枚多重露光しちゃった例。

小西六Pearl Ⅲ

本当にたまたま似たような写真を連続で撮ったので起こったミラクル(?)

これはこれでよしとしましょう。

小西六Pearl Ⅲ

公園でおじさんをパシャリ。

やはり古いカメラなのでピント合わせがかなり大変です。

ちょっとずれちゃってますが、これはこれで味があるかもしれません。

小西六Pearl Ⅲ

こちらもピントが・・・

手持ちで長時間露光しています。

確か1秒くらいだったかな。

シャッターのショックはほとんどないので、1秒とかも頑張っちゃおうという気にさせてくれます。

杉浦六三郎について

1847年(弘化3年)- 1921年(大正10年)74歳没)。

日本の実業家。

コニカ株式会社(現・コニカミノルタ株式会社)の創始者です。

別名、6代目杉浦六衛門、小西六衛門。

1872(明治5)年10月 / 織田織之助撮影
画像の出展と引用
出展:『写真とともに百年』小西六写真工業株式会社社史編纂室編、1973年(昭和48)年より
引用:東京工芸大学

引用リンク:東京工芸大学 / 工芸ヒストリー05

この織田織之助氏に撮影してもらった肖像写真を見たことをきっかけに写真、カメラ業界へ進むことになりました。

1920(大正9)年4月26日には、アメリカの企業で、世界最大の写真企業に成長したイーストマン・コダック(Eastman Kodak Company)の創業者ジョージ・イーストマン(George Eastman、1854-1932)の訪問も受けています。

メモカメラ史においてジョージ・イーストマンといえば、スウェーデンのカメラメーカーであるハッセルブラッドとの強い絆が有名です。
詳しくはハッセルブラッドの歴史を参照してください。

Hasselblad (ハッセルブラッド)の歴史を徹底解説!

アメリカ経済連盟視察団の一員として来日していたイーストマンは、当時日本で最大の取引先であった小西本店を表敬訪問しました。

このときに撮影された写真は「日米写真王の会見」として有名です。

1920(大正9)年 / 小野隆太郎撮影
画像の出展と引用
出展:『写真月報』1920年5月号より
引用:東京工芸大学

杉浦六三郎は、「日本の写真技術の振興に寄与する人材を世に送り出し、国家の発展に貢献するためには写真教育を行う専門の学校が必要である」という理想を提唱していました。

1923年(大正12年)に六三郎の遺志を継承した長男・7代目杉浦六衛門は日本で最初の写真専門学校(現:東京工芸大学)を設立しました。

メモちなみに杉浦六三郎と同じ年に生まれたアーティストとしては、1月6日に作曲家のアレクサンドル・スクリャービン(+ 1915年)がいます。

まとめ

  • 蛇腹式でコンパクトに使える反面、メンテナンスや耐久性には難あり。
  • 杉浦六三郎という日本写真業界の礎となる存在が背景にいる。
  • ヘクサーレンズは知る人ぞ知る名レンズ。
  • PearlⅢが実質の完成形であり、Ⅳは製造数が少なく、狙うなら状態のいいⅢが賢明。

構造自体はリンホフなどの大判カメラと同じ蛇腹式。

アオリ撮影などはできませんが、スプリングカメラに慣れておくと大判カメラへも移行しやすいかも?

645サイズで16カット撮影できますが、これもなんというかフィルムのサブ機としては絶妙感があります。

35mmでの撮影はちょっと多すぎる、でもハッセルなどの66だと10カット。

日常でのスナップではちょっと寂しい。。。

というときなどに気軽に持ち出せて35mmよりは贅沢に撮影できる。

この絶妙感は最高です。

蛇腹部分は和紙でできているため、不安は残りますが、和紙は大切に使えば1000年持つとも言われる素材です。

湿気や紫外線に注意しながら大切に使い続ければ今から買っても一生ものになると言えます。

オーバーホールなどができる方、場所が限られてきていますが、カメラというこの文化遺産をいつまでも大切に受け継いでいきたいものですね。

その他のスプリングカメラ

  • ツァイス・イコンのイコンタシリーズ
  • フォクトレンダーのベッサシリーズ
  • ドイツコダックのレチナシリーズ
  • フォクトレンダーのビトーII
  • マミヤのマミヤシックスシリーズ

などがスプリングカメラとして有名です。

Kotaro
Kotaro
服部 洸太郎
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ渡りケルンにてAchim Tangと共に作品制作。
帰国後、金田式電流伝送DC録音の名手:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、録音エンジニアとしての活動開始。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックなどのアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、介護で使えるプログラムをM5Stackを使って自作。
株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにてアルゼンチンタンゴをはじめとした民族音楽に関する文化の研究、ピアノ音響、さらに432hz周波数を使った癒しのサウンドを研究中。
スタジオでは「誰かのためにただここに在る」をコンセプトに、誰がいつ訪れても安心感が得られる場所、サイトを模索中。