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すべての人の標準画角=50mm

カメラを持つものが避けては通れない50mm。
一説には人間の視野(普段みている景色)がもっとも近いとも言われています。(現在は諸説あります)
50mmというと、昔々、大昔は5cmと刻印されていましたが、この5cmが20世紀のカメラ史をスタートさせたといってもいいのかもしれません。
バルナック型沈胴式ライカレンズの歴史・Summicron L 50mm F2 を購入
Voigtlander APO-LANTHAR Aspherical

フォクトレンダーは、カメラが発明される前の18 世紀から光学機器メーカーとして活躍していました。
後にドイツに移転しました。
創業者はヨハン・クリストフ・フォクトレンダー(Johann Christoph Voigtländer、1732年 – 1797年)。
創業当時は、大学からの注文による実験用レンズ、ガリレオ式望遠鏡、拡大鏡などを少人数の手工業で生産していました。
第二次大戦後は、ツァイス・イコン→ローライ→プルスフォト→リングフォトを経て、1999年にコシナに商標権が移り現在に至ります。
ところで1756年といえば、クラシック音楽ファンの方なら何かピンと来るかもしれません。
誰か有名な人が産まれた年だったような・・・と気になって調べてみると、有名な音楽家、モーツァルトが誕生したのが1756年でした。
モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart)(サイト内まとめ記事)
フォクトレンダーが創業した年、モーツァルトが誕生。
そんな時代からある光学メーカーのレンズ・・・めっちゃくちゃロマンがありますよね。
アポクロマート〜究極の設計

公式サイトにも次のように書かれています。
光の3原色を構成するRGBの軸上色収差を限りなくゼロに近づけるアポクロマート設計を採用。コシナ創業60年、フォクトレンダーのレンズ発売から20年で培った技術を結集し、究極の性能を追求。
コシナ公式サイト
フォクトレンダー史上最高の標準レンズとしての性能と、コンパクトでハンドリングのしやすさを兼ね備えています。
APO-LANTHARの称号
APO-LANTHAR(アポランター)とは、フォクトレンダーのレンズの中でも特に高性能な製品に与えられる称号です。
コシナ公式サイト
アポクロマート設計による傑出した結像性能と描写の美しさから写真家の心を魅了してきた伝説のレンズであるAPO-LANTHAR が誕生したのは1951年。その出自は120年ほど前まで遡れます。
丸ボケの特性を知る

絞り羽は独特の設計になっており、丸ボケを作ることができます。
全開放であるF2.0とF2.8とF16で円形の絞りになります。それがそのままボケの形になるので、丸ボケを作りたい場合はこの絞りはねの特性を知っておく必要があります。
作例

フリッカーで他の方の作例も参考にしてみましょう。
花写真



色の乗り方などはさすが。
素直でストレートな印象です。
ちなみに今回の花の写真はマクロレンズでもテストしていますので興味のある方はこちらのレンズもチェックしてみてください。
FE 90mm F2.8 Macro G OSS SEL90M28G 【G レンズの絵】
ポートレート

肌の反射光を捉える能力は白眉。

ちょっと光量の調整が曖昧ですがスヌートで陰影を表現しても、肌の質感はこの表現力です。
他のレンズではちょっと出せないのではないか?と思えるほど。
さすがはフォクトレンダーといえます。
映像にも
こちらは筆者の演奏するアメリカクラシックピアノシリーズです。
ピアノ収録の際もしっかりと質感が感じらます。

撮り方やライティング一つでキャラクターが180度変わることもあるじゃじゃ馬要素も秘めています。
まとめ
解像度は本当に素晴らしい。
素晴らしいんですが、そういうお話じゃない質感を感じられます。
マニュアルフォーカスのレンズですので、撮影にはじっくりと時間をかける必要があります。
思えばフィルムカメラで撮影した写真って、一枚一枚その写真の背景や想いが記憶に残っていたりします。
それはいろんなアナログ的要素ももちろんありますが、やっぱりマニュアルフォーカスで今から撮影する何かをみる、感じる、体感する時間も記憶に残る一つの要素になっているような気がします。
まさに作品撮りには最高のレンズ。
長く付き合っていきたいレンズになりました。

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服部 洸太郎
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ渡りケルンにてAchim Tangと共に作品制作。
帰国後、金田式電流伝送DC録音の名手:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、録音エンジニアとしての活動開始。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックなどのアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、介護で使えるプログラムをM5Stackを使って自作。
株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにてアルゼンチンタンゴをはじめとした民族音楽に関する文化の研究、ピアノ音響、さらに432hz周波数を使った癒しのサウンドを研究中。
スタジオでは「誰かのためにただここに在る」をコンセプトに、誰がいつ訪れても安心感が得られる場所、サイトを模索中。