【手芸界の革命】タオルでつくるぬいぐるみ / 服部まさ子

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筆者の祖母であり母である服部まさ子。

安らかに旅立ってから1年が経ちました。

思えばこの記事の下書きが2021年となっていたので、ずっと書けなかったのだと思います。

思い立ったのが『わたしの趣みん芸』というブログサイトがあり、そこで服部まさ子が紹介されていたのがきっかけでした。

わたしの趣みん芸

記事の中にはこのような一文があります。

こうしみると服部氏の1985年からほぼ毎年の出版ラッシュが物凄い。
対して、成田氏は1988年から2002年までと活動が長い。
ネット上にはお二人の経歴やインタビューなどが全くないため、二人の関係性などは全くわからない。ライバル関係であったのか?それとも同じ志で活動していたのか?
二人の著書はほぼ全て購入したので、タオルアニマルの制作実践を交えてそれぞれの思想・特徴をお伝えしていきたいと思う。
また、御存命であったら是非ともインタビューをしてみたい。
日本のタオルアニマル界にとって神様のような存在なのだから。

わたしの趣みん芸

こんな一文に背中を押され、自分自身の想い出も兼ねて服部まさ子という人物を一人のアーティストとして芸術に携わるものとして記録しておきたいと思った次第です。

服部まさ子

1931年9月11日~2021年10月12日(90歳没)

愛知県生まれ。

高校卒業後、名古屋ドレスメーカースクール師範科卒業。

同校教師を経て洋裁塾を開き、デザイン研究のかたわらコンクール等でデザイン賞を受賞。

神戸婦人大学を経て、タオルでつくるぬいぐるみシリーズを開発。

NHKの趣味講座で番組を担当し、池田書店からタオルでつくるぬいぐるみシリーズを出版。

人生

愛知県でお見合い結婚をし、当時旧・通産省に勤務していた筆者の祖父とともに戦後すぐの広島に移住します。

当時の広島のことは介護生活の中でたくさん聞かせてもらいました。

『本当になんにもなかった』というのが印象深く、戦後すぐの現在の原爆ドームのあたりもいったりしたそうですが、思い出しても涙がでるといつもいっていました。

洋裁と和裁

池田書店さんのプロフィールでは高校卒業後にスクールとありますが、かなり幼い頃から和裁にのめりこみ、また、西洋文化への興味がかなり強く、女学生時代には犬を飼っていましたが、その名前がジョンスだったそうです。

西洋文化への興味から洋裁も独学で勉強していたそうで、女学校時代から自作のドレスを作っていたり、自宅で和裁教室を開いていたりしていたと聞きます。

Kotaro Studio

タオルでつくるぬいぐるみ

引用:池田書店 / スキャン:Kotaro Studio

実は中古状態ですがAmazonでも過去取り扱っていたみたいです。

一躍ヒットとなったシリーズ『タオルでつくるぬいぐるみ』シリーズは、病院での待ち時間にタオルを折ったり止めたりしながら何かできないかと考え発明(特許も取得し発明協会からの表彰も受けています)したそうです。

引用:神戸新聞 / スキャン:Kotaro Studio

電車で病院からの帰り、隣に座ったスーツの男性に話しかけたんだそうです。

『こんな面白そうなの思いついたの』とその男性のハンカチで作って見せたところ、なんとその男性が新聞社の方で、出版社を紹介してくれたんだそう。

この行動力には脱帽ですね。

本当に誰にでも話しかける人でした。

筆者が子供時代は病院の待ち時間も、ちょっとジュース買いに行って戻ると、隣の人ともう何十年も前からの親友のように話し込んでいる。

『またどこかでお会いできたらね、さようなら』という台詞はなんども聞きました。

テレビ業界へ

実はこの書籍は出版当初から大ヒットとなり、NHKなどのテレビ番組で引っ張りだこ状態に。

祖母がおはよう朝日の生出演の日にホテルで筆者がおねしょしててんやわんやだったことを覚えています。

NHKでは番組と共に教室まで持っており、筆者も2歳、3歳ころにはよく連れて行ってもらいました。

当時はNHKの番組『みんなであそぼう』という歌のお兄さんとお姉さんがでる番組。

あそこに筆者は出演。

出演といいますか、実はあの番組、出演しているのは子役というわけではなく、NHKの職員やまさ子のような演者さんの簡易託児所のような存在だったんですね。

記憶はかなり薄らですが、筆者はあんまり中心には馴染めずに端っこの方で一人座っているタイプ。

そんな神戸大阪間を通いで出演していたまさ子でしたが、わたくし(当時3歳か4歳の筆者)の育児と教育のためにと、これまでの仕事をすべて辞めました。

本当に潔い引退だったと思います。

本来なら自分の子育て(筆者の実の父親)が終わったあとでの芸能界の成功。

自由に活動できるはずでした。

孫である筆者の育児のために仕事をすべて切り上げるという決断力は感謝とともに、すごいなと感心します。

当時のNHKでの展覧会の写真もネガから一部復元しました。

Kotaro Studio
Kotaro Studio
Kotaro Studio

特許が16年残った状態で引退

特許って本当に大変なんです。

筆者はまさ子の遺品整理で特許の原本コピーを見つけ、拝見しました。

掲載できるかどうか、法的なことがわからないので控えさせていただきますが、実はあれすべての手順を説明し、すべての手順に対して特許を申請するわけなんです。

めっちゃくちゃ細かいです。

1、タオルを◯センチ折、右上◯センチから針を刺し・・・

引用:婦人百科のミニコーナー / スキャン:Kotaro Studio

などこういった雑誌での紹介以上に複雑な手順を記載していくレベル。

これで数百手順とかのものをすべての動物で申請し受理してもらうみたいです。

ただしこの特許の効果はやはり絶大で、筆者が大学生の頃でしたが、ちょうど特許が切れた翌年ころに、世間では、おしぼりでつくる動物シリーズが流行り出したんですね。

その時はじめて筆者は、『おばあちゃんってすごい人だったんだな〜』と実感しました。

その特許が切れた同じタイミングでインドネシアからインドネシア語で出版したいという依頼も舞い込み、手芸界にはかなり影響を与えた人物なんだとその時は驚いていました。

人物像

本当にめちゃめちゃ面白い人でした。

しかし、同時にめちゃめちゃクリエイティブな人でした。

小学生の頃は貯金箱やナップサックなどみんなカタログから選んで作りますよね。

そういうカタログやキットは絶対に買ってくれませんでした。

自分で考えて自分で作りなさい。

かっこ悪くてもいいから自分で好きな生地を選びなさいと、本来ならカタログにチェックを入れるだけでみんなと一緒に受け取れるのに、生地選びから現役時代に付き合いのあった専門の卸業者の倉庫まで連れて行かれたことがあります。

他にも大変教育熱心な人でした。

小学校の頃に『ラッコって水面に浮いたままうんちするの?』と祖母に聞くと『自分で水族館に電話して聞いてみなさい。』と電話番号を渡されました。

電話に出てくれた水族館の職員の方がえらく喜んでおられたこともあり印象深い想い出です。

筆者が『タイムマシンを作りたい』といったときも、大阪の紀伊國屋まで学校中に往復いってきて、10冊以上もの相対性理論に関する本を買ってきてくれたこともあります。

毎年正月にはお茶の作法も厳しくしつけられました。

晩年

筆者が神戸⇄尾道に通いで仕事をしていたころ、80代に突入し、『ひ孫が楽しみね〜』とか言いながら在宅介護にてデイサービスに通ったり、あるときはショートステイを利用したりと楽しい時間を過ごしました。

2019年の末には心筋梗塞で救急搬送され、少し前から患っていた認知症も合わさり、要介護5に。

筆者が驚かされたのはそこからのポテンシャルでした。

搬送先のドクターからは余命1週間〜2週間(ちなみに在宅介護中の主治医は『そんなことないですよ』といっています)と言われましたが、なんとそこから2021年10月までに心臓疾患は全回復状態。

もちろん重度介護ですから、大変ですが、一緒にオーケストラを見たり、動物園の番組を見たり、本当に楽しい時間を過ごせました。

驚いたのは本当に死の直前まで手元にあるタオルやタオルケットを握って何かを作っていて、『いいアイディアがあるから、ノートとペンをお願いします』と、最期の最期まで創造性を決して手放さなかったことです。

死の1週間前には認知機能はほとんど機能していませんでしたが、それでもタオルで何かを作っていた。

最期まで残っていたのが創造性でした。

筆者が音楽家としてクリエイティブな人生を歩んでいるのも、やはりこの人に育てられたんだな〜と最期の最期まで実感し、感謝の連続でした。

残したもの

もちろん筆者はあまりにも多くの学びをもらいました。

タオルでつくる可愛いぬいぐるみの数々でたくさんの人を幸せにしたことでしょう。

そして、晩年はインドネシアとの関係もあり、大量のぬいぐるみをインドネシアに自費で送り寄付。

たくさんの子どもたちの嬉しそうな笑顔の写真が届いています。

→写真準備中

身内のことなので、発信するか迷いましたが、看取りから一年という節目と、筆者のグリーフケアの一環として、また、少なくともインタビューをしたいと思ってくれている方が一人でもいらっしゃるというありがたい想いに背中を押していただき筆を取った次第でございます。

現在は特許が切れていますので誰でも自由にタオルでつくったぬいぐるみを発信していただけます。

Youtubeなどでも『おしぼり 動物』『タオル 動物』でするとたくさん出てきますので、たくさんの人に楽しんでいただければ幸いです。

服部 洸太郎