【都市伝説の真相を考察】存在しない国から来た男の正体とは?

都市伝説のはじまり・・・1954年に、『週刊ジャパン・タイムズ』にとある記事が掲載されました。
「偽のパスポートを持った男が日本に入国しようとしたので、入国管理官がその男を抑留した」という内容。

その後

1954年、羽田空港に降り立った白人男性は存在しない国のパスポートを持っていた!

と話題になり、都市伝説化していきました。

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もちろん都市伝説となっていくからには数々の不可解なできごとが存在しているんです。
順番に見ていきましょう。

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存在しないトレドという国のパスポート

1954年昭和29年の7月に白人のビジネスマンが羽田空港に降り立ちました。

昭和29年というと、マツモトキヨシが設立された年。

俳優の小日向 文世さんが誕生したのも1954年、1月23日です。

自衛隊が発足したのもこの年。

1月19日には音楽家の松任谷由実さんも誕生しています。

こうしてみると、古いようで意外に新しい感じですよね。

そのビジネスマンの名前はジェナンスファー・バーホドリック。

生年月日は1888年9月11日。

当時は64(あと二か月で65歳)歳。

という人物です。

そのパスポートはトレドという国が発行したもので、存在しない国が発行したパスポートを持って、飛行機を降りてきたのでした。

当然入国管理官は、彼の入国を拒否します。

その後管理官が入念に調べましたが、世界中のどこにもトレド国は存在しなかったのです。

彼は日本に何度かビジネスできており、スペインとフランスの間の国だというトレド出身ということで、数か国語を操り、また日本語も堪能だったそうです。

係員が差し出した世界地図に、自身の国が載っていない事にとても動揺していたと言います。

彼が世界地図で示したトレドの場所とは、スペインとフランスの間、現在のアンドラという位置だったそう。

ちなみに↓↓↓こちらが↓↓↓国ではありませんが、現在のスペインはトレドという街の位置。

過去に来日した際の入国スタンプも本物

ジェナンスファー・バーホドリックさんは過去に何度か日本に来日していました。

入国管理官を最も困惑させたのはこの点ではないでしょうか?

03 入国審査や空港で使えるスペイン語 (音声ストリーミング)

過去の入国スタンプが公式のモノだったそうです。

存在しない国からきたこの男性を過去日本は何度も迎え入れていたわけです。

他の所持品として注目されているのは、ヨーロパの数か国の硬貨・小切手・日本滞在中の都内のホテルの予約証・国際免許証を所持していました。

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入国許可をもらうためには文句の付けようのセットと言えますよね!
そこがまた怪しい・・・

しかし・・・

  1. 持っていた小切手を発行した銀行は世界中のどこを探しても存在していない。
  2. 国際免許証もどこが発行したものなのか不明。
  3. 予約してる日本のホテルは存在しない。
  4. 彼の勤務先の会社も存在していない。

忽然と姿を消す

その後、取り調べは8時間にも渡り、偽造を証明する方法もないことから、一旦羽田近くのホテルに、警備を付けて移動することに。

この時、入国管理官2人とこの男性は一緒に食事をしたりもしているそうです。

トレドってどんな国?とか会話は困らなさそうですね。

その後、男性が宿泊した部屋の入り口には警備員を配置し、取り調べは翌日に持ち越されることになりました。

ところが翌日の朝、応答がないため、部屋のカギを開けて中に入ったところ、男性は跡形もなく姿を消していたんだそうです。

ホテルの部屋は15階、窓は一つ、出入り口は警備員。

ちなみにこちらはYoutubeで見つけた1954年当時の東京の様子。

戦後10年経ってませんが、戦争の面影はほとんどありませんよね。

さらに不可解なことが・・・

なんと、空港の警備室に保管されていた、男性の証明書や各種公的書類も跡形もなく姿を消していたそうです。

パラレルワールド説

都市伝説界では、パラレルワールドから来た!

タイムトラベラーだ!

と様々な憶測が飛び交っています。

筆者もこういった話は大好物ですので、面白くっていろいろ思考を巡らせておりました。。。

で、もちろん妄想はいくらしていても飽きないのですが、次に現実的に考えられることはなにか?

を考察してみたいと思います。

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ここから推理!

筆者の現実的な推理としては、ズバリ・・・

「スパイによる陽動作戦」だったのではないか?

という点です。

陽動作戦とは・・・
味方の作戦を秘匿し、敵の注意をそらすために、ことさら目立つように本来の目的とは違った動きをする作戦。「おとりを使って陽動作戦に出る」

goo 辞書

この陽動作戦はスパイ系の映画やドラマではよく出てくる手法なんです。

筆者の大好きなバーンノーティスというスパイ系のドラマでも陽動作戦はかなり頻繁に登場します。

例えば、わざと派手に銃撃戦を開始し、敵を銃撃戦に集め、そのすきに別の仲間が裏口から侵入する・・・といった感じです。

なぜ存在する国のパスポートを偽造しなかったのか?

ジェナンスファー・バーホドリック氏の公的書類はどこが発行したかわからないものばかりだったそうです。

当時、入国管理官も「偽造するとしたら存在している国や、存在している物を偽造しないだろうか?」と警戒を弱めていたそう。

ポイントしかし、高精度で偽造されたパスポートに、これだけ完璧なスタイルで入国してきた男性です。
仮に存在する国の偽造パスポートを持っていたとすれば、かなりスムーズに日本に入国できていたことでしょう。

陽動員としては、入国管理官や、入国管理の警備を自身に集中させなければいけません。

羽田空港の当時の入国セキュリティーパワーを集めることが陽動員の仕事だとすると。

これだけ不可解な要素を詰め込んでいるというのも納得です。

ジェナンスファー・バーホドリック氏が陽動作戦を実行している間に、他のスパイなり、何者かが、入国、または密入国、または何らかの作戦を遂行していた可能性は考えられないでしょうか?

忽然と姿を消したのをどう説明するか?

これは実際不思議な話ではありますが、跡形もなく忽然と姿を消す・・・

というのはスパイでよくある話ではないでしょうか。

空港の警備室の書類にしても、内通者がいれば余裕で可能になってきます。

陽動作戦は成功し、任務は達成→そして撤収。

と考えればすでにある程度の警戒を解いていた入国管理官の監視の目を盗んで跡形もなく撤収することは、訓練を受けたスパイにしてみればまさに朝飯前なのかもしれません。

ちなみに先ほど紹介したバーンノーティスでも、元凄腕CIA職員のマイケルは「30分で一切の痕跡なく引っ越しをする訓練」を受けているという設定があります。

腕の立つスパイであればどんな方法かはわかりませんが、充分に可能だったのではないでしょうか?

理想的な入国セットと語学が裏付けに?

まとめると筆者が最も違和感を感じた点は・・・

  1. ヨーロパの数か国の硬貨
  2. 小切手
  3. 日本滞在中の都内のホテルの予約証
  4. 国際免許証

と素晴らしく用意周到な完璧な書類。

に加えて日本語が堪能という点。

スパイ陽動作戦説が正しいとすれば、相当日本語を勉強したのでしょう。

ポイント実際現在でも世界最強最恐の戦闘チームと言われるグリーンベレーは母国語に加えてネイティブと同じレベルの言語力を一つ覚えるそうです。

本当に聞き分けがつかないレベルの言語力だそうです。

やはり、フランス語やスペイン語しか話せないとなると、通訳がやってきますよね。

メラニー先生のスペイン語聞き流し学習

その場合、応対する人員パワーが分散されてしまい、出来る限りの入国管理力を自身に集中してもらうためには、日本語が堪能で入国管理官だけで応対できる状況を創り出すことが大切です。

筆者はこの都市伝説は、どこかの国のスパイ、またはテロリスト、またはなんらかの理由で正規で入国するわけにはいかない何者かが入国するため、陽動作戦としてジェナンスファー・バーホドリック氏が起用されたのが有力ではないか?

と考えました。

テクノロジーが発展している現代ではほとんど不可能に近いような陽動作戦ですが、当時の完全アナログ世界と考えると、やり方次第ではいけそうな説ですよね。

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

都市伝説の考察は本当に楽しいですね!

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プロフィール

こうたろう
こうたろう
音大を卒業後ピアニストとして活動。
日本で活動後北欧スウェーデンへ。
アーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツ・ケルンに渡りAchim Tangと共にアルバム作品制作。
帰国後、金田式DC録音の第一人者:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入り。
独立後音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現:Kotaro Studio)」を結成。
タンゴやクラシックなどアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
大阪ベンチャー研究会にて『芸術家皆起業論~変化する社会の中、芸術家で在り続けるために』を講演。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにて『あなたのためのアートスタジオ』音と絵をテーマに芸術家として活動中。
2023年より誰かのための癒しの場所『Curanz Sounds』をプロデュース。