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彼らは決して高学歴の集団でもなければ、金融のスペシャリストでもありません。
1600ドルを3億5000万ドルにまで増やしたリチャード・デニスとウィリアム・エックハートという二人の人物が「トレード手法伝授して誰でも優秀なトレーダーが育てられると思うか?」という賭けをしたことが伝説のはじまりでした。
今でも機能しているという意見も一部ありますが、今から40年も前のお話になりますので、現代の市場では機能しない可能性があります。
伝説のはじまり
1980年代初頭、米国で有名なトレーダーであるリチャード・デニスとパートナーであるウィリアム・エックハートは、「自分達の使っているルールを学び、それを正確に守った人であれば誰でもトレーダーとして成功できるかどうか」について常々議論していました。
デニスはできると主張し、エックハートは反対の立場をとっていました。
二人は実際に実験してみることにします。
デニスは、ウォールストリートジャーナルに広告を掲載し、この実験に参加する人を募ります。

当時、デニスは米国でも有名なトレーダーだったこともあり何千人もの人々から応募が殺到します。
デニスはこの数千人の中からわずか14人を選びます。
明確な選考基準は明かされることはありませんでしたが、当時の面接の内容や試験問題の一部は「伝説のトレーダー集団 タートルズの全貌」の中で公開されています。
二週間の訓練
デニスは、感情についてのレクチャーをタートルたちに教え込みます。
2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンのプロスペクト理論ですが、1983年時点でデニスはタートルたちに概要を説明していたと言われています。
デニスのトレード哲学
- 疑問を定義する。
- 情報と材料を収集する。
- 仮説を立てる。
- 実験を行って、データを集める。
- データを分析する。
- データの意味を理解し仮説の出発点となる結論を導く。
- 結果を公表する。
このように見ると、現代のアルゴリズム取引の手順そのままのようにも見えてきます。
デニス式トレードの7箇条
- 資金が増えても減っても動じるな。
- いつも落ち着いて、同じように行動しろ。
- 結果ではなく過程で自分自身を評価しろ。
- 市場が動いた時に、どう行動するかを考えておけ。
- ときとして、ありえないことが起こる。
- 明日やるべきことと、どのような結果が起こりうるかを常に考えておけ。
- 勝てばいくら儲けて、負ければいくら損をするか?どちらの可能性が高いか?
出典:伝説のトレーダー集団 タートルズの全貌
エックハートの5つの質問
エックハートは良いトレードをするために念頭に置いておくべき5つの質問を教えます。
この質問に対する回答こそがトレードに必要な要素が詰まっているとエックハートは考えていました。
- 市場の状態はどうなっているか?
- 市場のボラティリティーは?
- 資金の残高は?
- 売買ルールは?
- トレーダーのリスク許容度は?
出典:伝説のトレーダー集団 タートルズの全貌
市場の状態を知る、トレンドがどちらに向いているのかを知ることは最も大切なことであり、ボラティリティーのない相場でポジションを取ることは推奨されていません。
タートルトレーディング手法
デニスはタートルたちをトレンドフォロートレーダーに育て上げるための訓練を続けます。
トレンドフォロワーは、将来の価格を予測しようとはしません。
トレンドフォロワーは、市場に参入するための厳格なルールと、撤退する時期を厳格に守ります。
トレーダー個人が感情的に判断を下すことはありません。
トレンドフォローの概念は、ファンダメンタルズとは正反対の概念であり、デニスはファンダメンタルズを完全に否定しています。
デニスは、ファンダメンタルズ分析のマイナス面をしっかり理解してほしいと考えていた。
伝説のトレーダー集団 タートルズの全貌
「ファンダメンタルズ分析から利益を得ることはできない。」
リチャード・ドンチャンが元祖とも言われており、20世紀の投機王ジェシーリバモアも伝統的なトレンドフォロワーでした。
デニスのトレンドフォロー型取引

デニスのトレンドフォローは価格チャネルのブレイクアウトに基づいていました。
この戦略には、S1、S2と名前が付けられた2つのシステムがあります。
S1
仕掛けには4週のブレイクアウトを使用し、手仕舞いには仕掛けとは逆方向の2週のブレイクアウトを使うシステムです。
シンプルにまとめると過去4週の高値を超えたら買いを仕掛け、過去2週の安値を割ったら手仕舞うということです。
S2
仕掛けのシグナルとしては11週のブレイクアウト(55日)を使い、手仕舞いには反対方向の4週ブレイクアウト(20日)を使用します。
S1よりも長期目線のシステムになります。
現在の価格が過去55日間の高値を超えたときにロングポジションを取ります。
ショートポジションの場合は価格が過去55日間の安値を下回ったときになります。
ジョークシステム?のS3
これはデニスがこのタートルの実験中に考案したシステムでルールを踏み外さないことの重要性を示すためのシステムだと言われています。
ずばり、「何をやってもいいというシステム」
デニスはS3のことを恐怖の直感システムと呼んでいました。
直感でトレードすることの恐ろしさを実感できるシステムでした。
ポジションサイズについて
タートルたちは市場の潜在的なボラティリティを表すための単位として「N」を使用しました。
過去20日間の平均価格変動からNを計算します。
また、デニスは、「ユニット」と呼ばれる概念を使用しポジションを構築していくよう教えました。
1ユニットは、アカウントの1%を取り、それをポイントあたりのドルのN倍(市場ドルのボラティリティ)で割ることによって計算されます。
僕たちが仕掛ける時には「1000ドルを投入するぞ」なんて言い方はしない。
伝説のトレーダー集団 タートルズの全貌
いつもNで考えるように叩き込まれていたからね。
だから、「Nの2分の1を投入するぞ」というふうに言ったんだ。
たいていの人なら「債権を3400万ドル買った」と思うと、金額のことで頭がいっぱいになって冷静な判断ができなくなるだろう。
だから債権はいくら動いた?と聞かれても、「31ティック」じゃなくて「Nの4分の1だ」と答えるのが、僕たちが習ったやり方なんだ。
Nに関してのより詳しい解説は是非書籍を熟読してみてください。
5年間の成果

実験はトータル5年間続きました。
この5年間でタートルたちはは合計1億7500万ドルの利益を上げました。
ただしすべてのトレーダーが最後まで成功していたわけではなく、タートルトシステムの不安定な性質のため、多くの損失を出す期間もありました。
それでも、最終的には、デニスが提案していた「誰もがうまく取引する方法を教えることができる」という説を証明することができたわけです。
プログラムコードは?
5年間で1億7500万ドルを稼いだこの感情に左右されないプログラム。
誰もが実装したいと思いますよね?
しかし、タートルのトレーディング戦略は、今から40年も前の1980年代に使われていたシステムです。
ルネサンステクノロジーズが誕生したのは1982年でしたが、まだ多くのトレーダーが裁量トレードを行なっていた時代です。
ジョージ・プルートのタートルシステムコード
ジョージ・プルートの「システム検証DIYプロジェクト」の中で付録としてタートルシステムをプログラムしたコードが公開されています。
リチャード・デニスの現在は?
デニスは25歳になる前に100万ドルを稼ぎました。
彼は「ピットの王子」として有名になり1986年だけでも、8000万ドルを稼いだと言われています。
デニスの名前は、ジョージ・ソロスやマイケル・ミルケンなどの業界の巨人たちと名前を並べるようになりましたが、彼の成功は長続きしませんでした。
デニスの戦略が機能しない時期がやってきました。
1987年から1988年の間、5年間続いたタートルの実験を終えると同時期に、デニスは自身が管理する資産の50%以上を失います。
この損失の後、デニスは業界から引退しました。
また、2000年にも巨額の損失を出したとも言われており、時期を考えるとブラックマンデーやドットコムバブル崩壊などに巻き込まれた結果だと伺えます。
タートルたちの現在は?
実験を最後までやり遂げたタートルは5年間厳格にルールを守った者たちでした。
実験終了後もルールを守り続けた人の中には、コモディティトレーダーとして大きな成功を収めた人もいます。
タートルメンバーの一人である、カーティス・フェイスは、資産管理の会社を始めましたが失敗に終わっています。
一方、ジェリーパーカーは現在もChesapeake Capital Corporationを管理しています。
Chesapeake Capital Corporation
まとめ
この実験から見えてくることはシステムは時期によって入れ替わるということ。
現在でもアルゴリズム取引をする場合、一度完成させたシステムを何年も使い続ける人はいないでしょう。
タートル流のトレンドフォローシステムも提唱された時代に作られたからこその結果であり、刻一刻と市場のシステムは変更していくと考える方が自然だと言えます。
2010年代から特に急速に変化が著しい時代に突入しました。
昨日のシステムが今日機能しなくなるなんてことも当たり前に起こります。
そのために私たち個人トレーダーは一つのシステム、ルールに執着することなく、柔軟な視点で市場を観察し、テクノロジーに置いてけぼりにならないための努力を続けていく必要があります。
マーケットの歴史の中での非常に価値のある5年間の実験から得られるものは単にルールやシステムだけではなく他にも多くのことを学べる実験だったと言えるのではないでしょうか。
是非書籍を手に取ってどんな学びが得られるか探ってみてください。

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服部 洸太郎
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ渡りケルンにてAchim Tangと共に作品制作。
帰国後、金田式電流伝送DC録音の名手:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、録音エンジニアとしての活動開始。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックなどのアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、介護で使えるプログラムをM5Stackを使って自作。
株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにてアルゼンチンタンゴをはじめとした民族音楽に関する文化の研究、ピアノ音響、さらに432hz周波数を使った癒しのサウンドを研究中。
スタジオでは「誰かのためにただここに在る」をコンセプトに、誰がいつ訪れても安心感が得られる場所、サイトを模索中。