Osvaldo Pugliese (オスバルド・プグリエーセ)

Osvaldo Pugliese

引用:Wikipedia

1905年12月2日 ‐ 1995年7月25日 (89歳没)

タンゴ演奏家の父をもつプグリエーセは、15歳でピアニストとしてデビューしました。

プグリエーセは、フリオ・デ・カロの影響を強く受けたと言われています。

プグリエーセが自身の楽団を結成しデビューしたのは1939年、33歳のときでした。

YUMBA (ジュンバ)の産みの親

プグリエーセと言えばジュンバ!

まずはこちらを聴いてみましょう。

1:07あたりからプグリエーセが登場します。

独特のリズムが心地いいですね。

プグリエーセはビシャ・クレスポに住んでいたことから、彼の銅像がビシャ・クレスポの中心的な大通りの交差点にあります!

現在は、交差点の改修工事があり、もう少し奥まったところに設置し直されていますが、度々メガネが盗まれたり、楽器がなかったりしています。

愛情表現の方法にかなり問題がありますが・・・ブエノスアイレスの人たちにいかに愛されていたのかがわかりますね。

Writer's profile

服部洸太郎
服部洸太郎
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ渡りケルンにてAchim Tangと共に作品制作。
帰国後、金田式電流伝送DC録音の名手:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、録音エンジニアとしての活動開始。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックなどのアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
本格的に写真、映像技術を学ぶ。
現在はKotaro Studioにて民族音楽に関する文化を研究。
「誰かのためにただここに在る」をコンセプトに誰かがいつでも訪れ安心感が得られるサイトを模索中。