Osvaldo Fresedo (オスバルド・フレセド)

タンゴの著名人たちを紹介アルゼンチンタンゴの有名人をブエノスアイレスでタンゴピアニストとして活躍する日本人ピアニスト大長志野がピックアップしてご紹介。
名曲解説などともリンクしていますので、是非タンゴの世界を覗いてみてください!
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志野

タンゴの楽団代表、作曲家、バンドネオン奏者として活躍したオスバルド・フレセド(1897年3月5日 – 1984年11月18日(87歳没))についてお届けします!

Osvaldo Fresedoの生い立ち

フレセドはアルゼンチン・ブエノスアイレスの中流階級の家庭に生まれました。

最初にフレセドに音楽を教えたのはピアノ教師だった母親でした。

フレセドがまだ幼いころ、家族で労働者階級のエリアに引っ越します。

そこでタンゴと出会い、バンドネオンを演奏することを学びます。

渡米

1920年(23歳)、米国に旅行することになります。

ニュージャージー州についたフレセドはピアニストのエンリケ・ペドロ・デルフィーノを始めとし、カルテットなどで数枚のアルバムのレコーディングに参加します。

フレセドは、当時、他の若いミュージシャンと共に、1920年代初頭におけるタンゴの革新者の一人だったフリオ・デ・カロや、ファン・カルロス・コビアンなどと高いレベルでタンゴ文化の発展に寄与し、より洗練された音楽スタイルを確立していきます。

フリオ・デ・カロ

30年代~

フレセドは1930年代と1940年代を通じてビクターで録音を続け、ロベルトレイ、リカルドルイス、オスカーセルパなどがボーカリストとして参加しました。

フレセドは1980年に音楽家を引退するまでオーケストラの指揮し続け、1980年にコロンビアレーベルで最後のレコーディングを残しています。

1984年11月18日に死去。

参考資料

Kotaro
Kotaro
服部 洸太郎
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ渡りケルンにてAchim Tangと共に作品制作。
帰国後、金田式電流伝送DC録音の名手:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、録音エンジニアとしての活動開始。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックなどのアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、介護で使えるプログラムをM5Stackを使って自作。
株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにてアルゼンチンタンゴをはじめとした民族音楽に関する文化の研究、ピアノ音響、さらに432hz周波数を使った癒しのサウンドを研究中。
スタジオでは「誰かのためにただここに在る」をコンセプトに、誰がいつ訪れても安心感が得られる場所、サイトを模索中。