ジェシー・リバモア (Jesse Livermore)

※この記事は2020年10月3日に更新されました。

Jesse Lauriston Livermore

1877年7月26日 – 1940年11月28日 (63歳没)

アメリカの投機家、相場師。

年表

1877年

マサチューセッツ州シュルーズベリーの貧しい移民の家庭に生まれる。

1891年 (14歳)

農業を継がせようとしていた父に反発し、14歳で家を飛び出し、ボストンで株仲買店の働き始め、ここで株価の黒板書きの仕事をしながら独自にティッカーテープを読んで、相場の動きを観察するようになっていました。

1892年 (15歳)

15歳のとき年上の同僚から差金決済取引の原型ともなるバケット・ショップに誘われ、3ドル12セントを儲けた時から投機家への道を歩みだします。

彼は『無鉄砲な少年相場師(boy plunger)』との異名が付くほどバケット・ショップを相手に勝ち続けたと言われています。

1897年 (20歳)

バケット・ショップで勝ち続けたこともあり、バケット・ショップから追い出され、1万ドルを持ってウォール街へ。

ニューヨーク証券取引所にて実際に株取引を開始。

しかしわずか6ヶ月足らずで破産します(1度目の破産)。

ポイント

彼自身が後に語った内容では、バケット・ショップでは注文が店頭で即刻執行されるのに対し、当時の株式市場は電信を使っていたためタイムラグがあったためと言われています。

破産後、もぐりの証券会社を利用し、復活します。

1900年 (23歳)

10月、ネティ・ジョーダンと1度目の結婚。

1901年 (24歳)

強気の相場に乗り5万ドル(現在の貨幣価値で20億円程度)の資産を作ります。

1906年 (29歳)

サンフランシスコ地震の前日にユニオンパシフィック鉄道で大規模なショートポジションを取り、25万ドルの利益をもたらしました。

ユニオンパシフィックについて

世界経済の情勢を分析して、この5万ドルを空売りに投じます。

株価が下落するという読み自体は正しかったのですが、仕掛けるタイミングが早すぎたため、直後の株価の反騰の波に飲まれ、5月に2度目の破産となります。

ポイント

妻・ネティのために購入した高額の宝石類を質入して投機につぎ込むという頼みを断られたことをきっかけに、夫婦仲は悪化し別居が始まりました。

1907年 (30歳)

2度の破産から立ち直り、1907年恐慌にて巨大なショートポジションにて100万ドル(現在の貨幣価値で200億円)の資産を保有するようになります。

memo

このときJ・P・モルガンがリバモアに使いをよこし、「市場を救済するため、これ以上の売りは行わないように」と要請しました。
この要請を受けて、翌10月25日の朝、リバモアは買い戻しに入り、あらゆる株を買い捲る行動に出ています。
この買い戻しきっかけに市場の流れが変わり、暴騰相場が始まりました。

この時の買い戻しで資産は300万ドルにも達したと言われています。

「コットン・キング」の異名を持つパーシー・トーマスの勧めでコットン市場にも手を出します。

しかし1908年、コットン相場の大暴落で綿花の買い占めに失敗、莫大な負債を抱えることになりました。

1915年 (38歳)

負債を抱えながらの投機に限界を感じたリバモアは、債権者一人ひとりに「再起したら必ず負債は返す」と約束してまわった上で1915年2月18日、破産を申請し受理されます(3度目の破産)。

1917年 (40歳)

破産が確定して精神的に開放されたリバモアは再び市場で勝ち始め、債権者達に負債を完済します。

同年10月に長年別居していたネティと離婚。

ショー・ガールだったドロシー・ウェントと出会い、2度目の結婚。

2児をもうけます。

1929年 (52歳)

9月4日、世界恐慌の引き金となった暗黒の木曜日(10月24日)、リバモアは大量の売りポジションを持っており、約1億ドルを獲得しています。

ポイント

“Great Bear of Wall Street”(ウォール街のグレードベア)の異名で新聞を賑わせますが、彼のせいで大暴落したと勘違いした大衆から殺害予告などが届き、ボディガードを雇って生活していました。

1932年 (55歳)

9月16日、不倫が元で別居していたドロシーと離婚。

1933年 (56歳)

離婚後しばらくしてハリエット・メッツ・ノーブルに出会い、1933年3月28日に結婚。

ポイント

ハリエットの結婚は4度目であり、彼女の前夫たちはみな自殺していました。

1934年 (57歳)

3月5日、4度目の破産。

1940年 (63歳)

3月、息子ジェシー・ジュニアの勧めから『How to Trade in Stocks』を著す。

同年11月28日、ニューヨークのホテルの一室で遺書を妻に残し、ピストル自殺を遂げました。

 “My dear Nina: Can’t help it. Things have been bad with me. I am tired of fighting. Can’t carry on any longer. This is the only way out. I am unworthy of your love. I am a failure. I am truly sorry, but this is the only way out for me. Love Laurie”.
“親愛なるニーナ 私とはうまくいってないの 喧嘩にも疲れた “もうこれ以上は無理だ “これが唯一の出口だ “私は君の愛に値しない 私は失敗作です 本当にすまない、でもこれが唯一の出口なんだ 「愛を込めてローリー」

Jesse Livermore 遺書

晩年はうつ病を患っていたと言われています。

memo

彼が残した信託と現金は500万ドルにのぼっていたそうです。

ポイント

カクテルのオールド・ファッションドを好んで飲んでいた。

彼がバーの席に着くと、何も言わずにバーテンが作ったという話もある。

投機手法

初期=スキャルピング

初期の手法はバケット・ショップにおける超短期の売り買いを繰り返す俗に言うスキャルピング手法でした。

ニューヨーク取引所では長期

その後ニューヨーク取引所へ復活を果たした際には長期的なスタイルへと変えています。

私生活

愛読書

Charles Mackay チャールズ・マッケイの [Extraordinary Popular Delusions and the Madness of Crowds]を愛読していたと言われています。

釣り

釣りが趣味で1937年には436ポンドのメカジキを釣り上げたと言われています。

関連書籍

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