Daniel Friedrich Rudolph Kuhlau

フリードリヒ・クーラウ
1786年9月11日 – 1832年3月12日 (46歳没)
ドイツ:ハノーファー・ユルツェンにて誕生。
父:ヨハン・カール・クーラウ
母:旧姓 – アンナ・ドロテア・ゼーゲルン
2人の間には11人の子供が生まれました。
その内成人したのは3人の息子と2人の娘だけでした。
フリードリヒ・ダニエル・ルドルフ・クーラウはこの中で9番目の子供で、成人した3人の息子の中では一番年下でした。
産まれて間もなく9月13日に洗礼を受けています。
ドイツの作曲家
フルートの作品を数多く作曲しました。
作曲家ベートーベンに作風が似ていたこともあり「フルートのベートーベン」と呼ばれることもあります。
クーラウの「6つのソナチネ Op.55」はピアノ初心者の導入曲として採用されることも多い名曲です。
その他、クーラウのソナチネは作品59(3曲)、作品60(3曲)、作品88(4曲)が残されています。
年表
1786年
ハノーファー(現ドイツ)のユルツェン(Uelzen)で誕生。
両親とリューネブルクに移住。
1793年
外出時に転倒し、所持していた瓶の破片で片目を失明。
7歳の時リューネブルクにて暗い道で転びガラスの瓶で目を打ち付ける事故に遭遇。
往診のドクターから「一方の目を助けるためには片方の目を摘出しなければならない」と言われます。
当時まだユルツェンに住んでいた姉にこんな手紙を送っています。
僕はこれ以上書けません。まだすごく痛むので。
クーラウ
僕はすぐに新しいアリアを思いつくでしょう。そうしたらお姉さんに書いて送ります。
この頃、症状の回復の時期に父からフルートの手ほどきを受け、リューネブルクの聖霊教会のオルガニスト、ハルトヴィヒ・アーレンボステルからピアノのレッスンを受けます。
1810年
コペンハーゲンに移住。(ナポレオンの侵攻により亡命)
当時のデンマークで音楽業界を支配していたのは、ドイツ人の作曲家、「フリードリヒ・ルートヴィヒ・エミリウス・クンツェン」でした。
コペンハーゲンでは宮廷室内音楽家の地位を取得。
1811年1月23日水曜日にデンマークで初めてクーラウの演奏会が開催されました。
当時の新聞ブリッカには次のように記録されています。
「1811年1月23日、彼はコペンハーゲンの王立劇場で演奏会を催した。
ブリッカ – [カール・グラウプナー著 「フリードリヒ・クーラウ」]
人々は演奏しようとしているこの外国の芸術家にについては殆ど何も知らなかった。
ただ彼がその故郷からコペンハーゲンに亡命してきたということは知られていた。
彼の到来はすでにヨーロッパでその名前が知られていると言うだけでは特に称賛を浴びることではなかった。
幕が上がった。
そしてほっそりした若者(この時クーラウ25歳)が登場した。
黒の衣装を身に包んだ骨張った体格はやや無骨な感じを与えた。
髪の毛は強く縮れ、片方の目が損なわれた赤味を帯びた頬の細おもての顔、時には子供っぽい不器用な身体の動きで対照をなしたが、しかしその他の点では非常に誠実な印象を与えた。
彼の挙動は何かちぐはぐなものを感じさせた。
そして、彼はピアノの前に座った。
宮廷楽長のクンツェンが指揮棒を揚げた。
ピアノ協奏曲ハ長調が始まった。
すると今まで彼を取り巻いていたおかしな感じは消え、驚くべき完成度で鍵盤を駆け巡る両手、両指から弾き出される音は彼が巨匠であることを証明した。
最終楽章のアレグロを弾き終わり立ち上がるとフリードリヒ・クーラウのデンマーク聴衆への最初の登場は喝采を持って迎えられた。」
1812年2月20日 – コペンハーゲンでは宮廷室内音楽家の地位を取得。
翌年の1813年3月3日にはデンマークの市民権を得ることができました。
1815年
ピアニストとしてスカンジナヴィア諸国を演奏旅行し、スウェーデンの貴族に多くの弟子を持ったと言われています。
スウェーデンでの最初の演奏会は1815年4月13日。
続けて4月29日にも行われました。
最初の演奏会(4月13日)ではデンマーク・デビューですでに知られた技巧的なピアノ協奏曲ハ長調とケルビーニの『水汲み人』の歌よる変奏曲を演奏しています。
4月29日の演奏会ではもう一つのピアノ協奏曲(1831年のリュンビューの火災により焼失)、「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」の変奏曲、最後にスウェーデン民謡を演奏しました。
ストックホルムの新聞は「彼は精神的で根元を理解している芸術家」と評されています。
スウェーデンで人気となったクーラウは後にストックホルムの王立音楽院の会員となりました。
スウェーデンでの演奏旅行で彼はかなりの収益を上げたことが兄のアンドレアスに宛てた手紙から覗うことができます。
1825年
ウィーンにベートーベンを訪ねる。(クーラウ39歳, ベートーベン55歳)
クーラウは即興でバッハの名前によるカノンを書きました。
ベートーベンはクーラウと出会った記念に即興曲を献呈しています。
しかし、この曲に関してベートーベンは「その日は充分に芸術性を発揮できなかった」と感じ、翌日次の文面を添えてクーラウに届けています。
1825年9月3日 バーデンにて
ベートーベン
昨日は私もシャンパンがひどく頭にのぼり、そのため又しても私の創作力が促進されると言うよりは抑制されると言う事態になってしまったことを告白しなければなりません。
いつもならそのようなことは簡単にできるというのに、昨日は何を書いたか全く覚えていないほどですから。
貴方を信服している者を時々思い出してください。
クーラウは憧れのベートーベンと知り合いになるという夢を叶えて、1825年10月にコペンハーゲンに戻ります。
1825年
コペンハーゲンで名誉教授号を贈られます。
1830年
クーラウの両親の死去。
父親は1830年1月21日、突然亡くなりました。(83歳没)
母親は1830年11月13日に亡くなりました。(60歳没)
クーラウは手紙で死別の悲しみを書いています。
「1年の間に二人の葬式はなんとつらいことか!」
1830年12月11日ベーメ宛
1831年の災害ではクーラウも危うく死ぬところでした。
1831年2月5日の午後5時頃、宮廷銅版彫刻師プライスラーの館から出火。
クーラウが住んでいたガラス職人親方ハルベアの家に燃え移り15分ほどの間に全てが炎に包ました。
この時、クーラウの全ての楽譜類は燃えてしまったそうです。
出版されていないものに関してはこの後後世に残ることはありませんでした。
火災の時に外に留まっていたことでクーラウは風邪をひきます。
その後喘息を患い、衰弱して足の痛風で悩まされコペンハーゲンのフレデリク病院に入院することになります。(1831年3月8日から6月7日まで)
1832年
コペンハーゲンにて46歳で死去(3月12日午後7時45分)。
アシステンス教会墓地に埋葬され、静かに眠っています。
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音大を卒業後ピアニストとして活動。
日本で活動後北欧スウェーデンへ。
アーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツ・ケルンに渡りAchim Tangと共にアルバム作品制作。
帰国後、金田式DC録音の第一人者:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入り。
独立後音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現:Kotaro Studio)」を結成。
タンゴやクラシックなどアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
大阪ベンチャー研究会にて『芸術家皆起業論~変化する社会の中、芸術家で在り続けるために』を講演。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにて『あなたのためのアートスタジオ』音と絵をテーマに芸術家として活動中。
2023年より誰かのための癒しの場所『Curanz Sounds』をプロデュース。
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