日本には道がない?!長い間日本が海外から攻め込まれなかった理由

※この記事は2019年11月14日に更新されました。

基本的には内戦ばかりの日本史

日本史を勉強していると感じるのは、その歴史のほとんどは国内での内戦です。

それもそのはず、島国日本ですから、テクノロジーが発達する以前、古典的戦法で日本に攻め入るというのは非常に困難です。

広い太平洋、荒々しい日本海。

天然の要塞に守られているため長い間、内戦だけだったと想像できます。

しかし、天然の要塞だけで長い間他国からの侵略に対応できていたのでしょうか?

実際にはたくさんの国々の人が日本を行き来していますし、貿易も盛んでした。

ヨーロッパ史などでは、陸路での戦闘はもちろんのこと、海戦も盛んで、海上でも多くの血が流れてきました。

その気になれば、日本も攻め入ることができたはずです。

なぜ長い間侵略されなかったのか?

1945年、日本は長い歴史の中で、初めて外国に統治されました。

長い間侵略されなかった理由はもちろん一つだけではないと思います。

先述の天然の要塞説も含めて、たくさんの理由が重なっての結果だとは思いますが、筆者はあえて陸路での日本独特の構造について考察してみたいと思います。

天然の要塞が予想外に強固だった

陸路についての考察の前に、天然の要塞である海が思いのほか凄まじい防衛力を誇っていたという件に少し触れてみたいと思います。

日本海はその地形上かなり荒々しく、航海するのが難しいことは、容易に想像できると思います。

一方で、日本の特殊な海と言えば瀬戸内海。

瀬戸内海の歴史は村上海賊(水軍)なしでは語れませんが、ここはまさに天然の要塞でした。

現代では完全に地形が判明していて、瀬戸内海を航海する船はプログラムで動いていますが、まだコンピューターが未発達の時代は、ここを航海するのは至難の業でした。

そこで、日本国内でもこのエリアを通過するために、地形を熟知している村上一族に案内料(通行料)を支払い、安全に運行していたという歴史があります。

このエリア、一旦ルートを間違えると、潮の流れに呑まれたり、巨大な岩にぶち当たったり、突然数メートルほどの深さになり、船底が崩壊したり。。。

まさに地元村上水軍の案内無しでは通行できない地獄のルートだったわけです。

戦国最強とも恐れられた織田軍が一度瀬戸内海で村上水軍に敗退しています。

海底の様子が分からずに座礁したり、思い通りに船が動かなかったことが原因であると、言われています。

この敗退を機に織田軍は鉄船(鉄甲船)を開発。

瀬戸内海の研究も含めて見事リベンジを果たすわけですが、織田軍が最も攻略に苦戦したエリアが瀬戸内海だったと言われています。

この鉄甲船の開発により、織田軍の海軍戦力は一気に世界レベルにまでのし上がり、この時代の西洋の海軍戦力を遥かに凌ぐ戦力を保持することになったと言われています。

ちなみに、同時代の西洋での海戦と言えば、アルマダの海戦が有名。

スペイン無敵艦隊でさえ、燃え盛る炎にどうすることもできないわけです。

しかし、同時代の織田信長率いる水軍は鉄で覆われているため、燃えないのです。

これはいける!!!と後進の豊臣秀吉が海外進出に精を出していくというわけです。

少し話がそれてしまいましたが、この瀬戸内海を攻略することが、世界の戦力の頂点に立てる!というほどに、瀬戸内海側から侵略するのは完全無理ゲーだったわけです。

例え当時、スペイン無敵艦隊が現代と同じ水準の地図を入手していたとしても、戦闘が始まる前にスペイン無敵艦隊は全滅だったと推測できます。

陸路での考察

では、日本海側からの侵略は無理ゲーなのでしょうか?

荒々しいとはいえ、荒々しささえ克服すれば、ユーラシア大陸から近いのもあり、アタックしやすいのではないでしょうか?

何故アタックできないのでしょうか?

これは筆者の推測ですが、おそらく何度かアタックされていたと思います。

しかし、ここで重要なポイントが、日本海側から、日本の内部に入るための道。

日本で有名な「道」と言えば、奥の細道などにも代表される、各地の道、また日本の歴史の中で長い時間経済の根幹を担っていた銀山街道が有名です。

奥の細道とありますが、この細道って一体どれくらいの細さなのでしょうか?

日本の古道や細道、例えば銀山街道などの記録によると、幅は7尺とあります、現代のメートルで換算すると、約2.1m。

2.1mです。

だいたい当時の日本人成人男性の1.5人分ほど。

これはもう木々や葉っぱが生い茂ると道だとわからないレベルです。

今のようにもちろん開拓されてコンクリートで舗装されたりしていません。

※使える写真がなかったので、島根県のホームページをリンクします。

島根県:石見銀山街道コース(トップ / 環境・県土づくり / 自然・景観・動物 / 自然環境 / 島根の自然公園・保護・観察 / しまねの中国自然歩道)www.pref.shimane.lg.jp

ここで写っている道は、観光用にある程度舗装された道です。

ユーラシア大陸で広々と戦闘を繰り広げている人たちにとっては「存在しない」のと同じ。

日本海側から、陸地に到着できたとして、道がないのです。

侵略するためには、船旅で疲れた兵士たちで数か月~数年かけてまずは道を舗装しなければなりません。

仮に侵略できたとして、コスパ最悪ですよね(笑)

このあるのかないのかわからない道を安全に進むための案内人が・・・そう、忍者です。

有名なエピソードでいうところの、「家康の伊賀越え」は忍者の案内(もちろん護衛もありますが)なしでは不可能だったそうです。

海=水軍

山=忍者

この両者の二大組織がないと日本を攻略することはできませんでした。

瀬戸内海側=完全アウト

日本海側=道がない

という日本独特の構造が長い間侵略されずに独自の歴史と文化を築き上げることができた理由の一つなのではないか?

みなさんの参考になれば幸いです。

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