未来の食べ物

本日は未来の食べ物とも言われる昆虫食をピックアップ。

世界の三大雑食動物は、ヒトと、ネズミと、ゴキブリ。
なんでも食べるからどこでも生きられる。

食心理学者のポール・ロジン
      
  1. 未来の食べ物として注目されている食材とは。
  2.   
  3. 3つのメリット
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  5. たった1つのデメリット
  6.   
  7. まとめ

未来の食べ物

未来の食べ物として今注目を集めているのが昆虫食。

中南米メキシコなどでは伝統的にイモムシ料理などが親しまれていました。

メキシコのお酒といえばメスカルですが、一部の製品ではイモムシ(グサーノ、ワームの意味。ここではリュウゼツランに住むボクトウガの幼虫)を入れた商品などもあり、日本でも購入することができます。

未来の食べ物3つのメリット

環境にやさしい

まずは今世界中が関心を集める環境問題に関して。

温室効果ガスなどの影響が懸念されており、環境に影響を与えると言われる牛肉などがピックアップされ、アメリカでもビヨンドミートをはじめ大手食品メーカーが大豆などから作る植物由来肉の生産加工に力を入れています。

©2012 Oonincx、deBoer

こちらはタンパク質1kgあたりを確保するために放出されるCo2の量を表したグラフ。

さらにこちらは1kgのタンパク質を確保するために必要な土地の広さを表していますが、当然牛は大きいので広大な土地が必要になります。

これだけみてもいかに昆虫のタンパク質確保能力が高いかが伺えます。

育成効率が良い。

成長速度が速いブロイラーという種類の鶏肉でも出荷までにかかる日数は40〜50日で2〜3kg。

さらに成長ホルモンなど各種薬剤を投与すれば最速で25日〜30日で出荷できるという記録も残っています。

スーパーで安売りされているブラジル産の鶏肉などはこのブロイラーという種類になります。

一方で地鶏と呼ばれる一般の鶏肉だと約3ヶ月、餌や病気の世話などをしてやっと出荷されます。

一方昆虫食は例えばコオロギなどの場合は最速で1週間〜2週間で出荷可能となっており、成長速度に加えて出荷の際の加工や輸送のコストや労力が抑えられることも特徴。

2030年には世界の人口が90億人を超えるという予測もあるほどですので、このまま非効率的なタンパク質の確保を続けていれば地球の環境バランスは保たれないという見方もあります。

衛生面が安心。

そもそも昆虫=不衛生なイメージが定着したのはいつ頃なのでしょうか。

調べてみるとどうやらコレラ説が有力なようです。

19世紀にインドのガンジス川河口域を発生起源として世界中に広まったコレラ。

日本でもハエに賞金がかけられたりしていたそうですので、不衛生のシンボルとしてハエやその他虫などを混合してしまった経緯があります。

その証拠にコレラ以前は日本でも昆虫食は当たり前のように親しまれていましたよね。

      
  • 蜂の子
  •   
  • さざむし
  •   
  • タガメ
  •   
  • ゲンゴロウ

たった1つのデメリット

昆虫食のデメリットはあります。

それはやはり見た目。

昆虫を日常的に食べる習慣のない期間が日本でも随分と長く続きました。

戦前に生まれた世代などは昆虫食が日常の文化がまだ残っている地域の方も多く、平気で食べたりできますが、やはり昭和〜平成、令和に生まれた世代にとっては少々抵抗があるものです。

しかし、それは食肉だって同じこと。

実際鶏肉や豚肉、牛肉を自分で捌いた人は食べれなくなる人もいるそうです。

当然昆虫食だって、生のままだったり、生きたまま食べるわけではありませんので、調理法や加工法次第でこういったデメリットは解消されていくことと思われます。

まとめ

未来の食生活では地球環境に配慮し、また依存せず且つ効率的な生産が可能でプログラム管理のしやすい食材確保に優位性が高まると想定できます。

もちろん植物も然り。

そういう意味では豊富なタンパク質を持ち、成長速度も他のタンパク源に比べて著しく早く、広大な土地を必要とせず衛生管理もしやすい昆虫食。

伝統的文化としてのDNAをそもそも持っている日本ではメインのタンパク源となっていても不思議ではありませんよね。

未来の食材を先取り、または慣れておくといいかもしれません!

Writer's profile

Kotaro
Kotaro
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ渡りケルンにてAchim Tangと共に作品制作。
帰国後、金田式電流伝送DC録音の名手:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、録音エンジニアとしての活動開始。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックなどのアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
本格的に写真、映像技術を学ぶ。
現在はKotaro Studioにて民族音楽に関する文化を研究。
「誰かのためにただここに在る」をコンセプトに誰かがいつでも訪れ安心感が得られるサイトを模索中。