【1941】アイ・リメンバー・ユー

I Remember You

1941年〜4歳でバイオリンを弾きこなし天才と言われたアメリカの作曲家で映画監督のビクター・L・シャーツィンガーの「アイ・リメンバー・ユー」。

美しいメロディーの中に感じられる映画監督ならではの確かなストーリー性が印象的です。

古くからチェット・ベイカーやリー・コニッツなど多くのジャズミュージシャンにカバーされており、ジャズスタンダードとしても定番になりました。

Victor Schertzinger

引用:Wikipedia

ヴィクターL.シャーツィンガー(1888年4月8日 – 1941年10月26日(53歳没)。
アメリカの 作曲家、映画監督、映画プロデューサー、脚本家。
ペンシルベニア州マハノイ市で生まれ。
4歳でバイオリンの天才として注目を集めます。
8歳の頃には、ヴィクターハーバートオーケストラやジョンフィリップスーザバンドなどをはじめ、数々のオーケストラでヴァイオリニストとして出演します。
10代ではアメリカとヨーロッパを行き来しながらバイオリン奏者として活躍しました。
その後ブリュッセル大学で音楽を学びます。
映画業界での最初の作品は、1916年にトーマス・インセの依頼で無声映画のオーケストラ作品でした。
1930年代をフリーランサーとして過ごしたシャーツィンガーはジュリアE.ニックリンと結婚。
シャーツィンガーは、53歳の時、ハリウッドで心臓発作のため突然亡くなりました。
彼は生涯89本の映画を監督、50本以上の映画音楽を作曲しました。
フォレストローンのグレンデールに埋葬されました。

Johnny Mercer

引用:Wikipedia

Johnny Mercer(1909年11月18日 – 1976年6月25日(67歳没)。
アメリカ合衆国の作詞家・作曲家・歌手でキャピトル・レコードを共同設立者です。
ジョージア州サヴァンナ生まれ。
父は弁護士、母は1850年代に北米にやってきたクロアチア移民・アイルランド移民の娘、祖父は商人で、曽祖父は南軍の将軍ヒュー・W・マーサー、高祖父はアメリカ独立戦争の革命軍の将軍でプリンストンの戦いで戦死したヒュー・マーサーでした。
子供時代の遊び友達や召使は黒人で、アフリカ起源の単語を含んだガラ語で話して歌う釣り人や行商人の言葉を聴いて育ちます。
教会も大好きだったため、多くの黒人音楽に親みました。
1928年19歳でニューヨークに移住。
ジャズやブルースがハーレムやブロードウェイで人気となっており、ジョージ・ガーシュウィン、コール・ポーター、アーヴィング・バーリンのミュージカルなどで活気にあふれていました。
ジョン・マーサーの名でショービジネスの世界に。
1935年にハリウッドに着くと既に音声付のトーキー映画が一般化しており、電気録音技術の中で性能に優れたマイクロフォンが続々と開発されはじめ、多くの映画で歌曲が流れるようになっていました。
マーサーは歌手としても成功。
1960年代初頭、作曲家ヘンリー・マンシーニと手がけた作品はマーサーの後期のキャリアの中でも特に有名な曲となっています。
1961年『ムーンリバー』、翌1962年『酒とバラの日々』、これら2作は、共にオスカー受賞曲となりました。
1975年、ポール・マッカートニーが共作を申し込むが脳腫瘍で死の床にいたマーサーはこれを辞退。
1976年6月25日カリフォルニア・ベルエアにて死去。

ポイント

  • 時代を超えて多くのミュージシャンからカバーされ続ける美しい旋律を持つ楽曲。
  • ジャズスタイルで演奏する場合は楽曲そのものが持つストーリー性が強いためアドリブで自身の表現としてのストーリー性と楽曲の持つストーリー性のバランスを取ることが求められます。
  • 筆者は個人的にはリー・コニッツの演奏が白眉であると感じています。
  • ダイアナ・クラールがボサノバスタイルで甘美に歌い上げる美しいアルバム「ザ・ルック・オブ・ラヴ」もおすすめです。

この記事を書いた人

こうたろう

フォトグラファー&サウンドデザイナー
ミュージシャンだった父の音楽スタジオと、モデルだった母の仕事場であるフォトスタジオの現像ルームが子供時代の遊び場という恵まれた環境で育つ。
音楽大学を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlとセッションを重ね声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ。
ドイツから帰国後ピアノソロ作品アルバムと共に同時リリース。
金田式電流伝送DC録音の第一人者である五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、サウンドデザイナーとしての活動を開始。
独立後、音楽プロデューサーとして音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックを中心としたアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
現在は元ピアニストの経験を生かしたミュージシャンのライブフォトを得意としながら、肖像写真、動物写真、自然写真を中心にミュージックビデオの制作などオーディオ技術も得意とするフォトグラファーとして活動中。