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※この記事は2020年1月19日に更新されました。
本日は宗教について考察してみたいと思います。
神はいない

リアルな無神論を展開するには相当時間がかかります。
筆者は基本的に無神論派ですが、宗教文化自体は大好きです。
元々西洋の美術や、音楽は宗教と密接にリンクしているため、これらを理解するには、宗教文化の勉強がかかせません。
さて、筆者は無神論派で無宗教ですが、無神論者ではありません。
まだ正確な論理で論じることができないからです。
しかし、正確な論理で論じれる人もいます。
例えば天才物理学者と言えばアインシュタイン。
彼はこんな言葉を残しています。
神はサイコロを振らない
また物理学者のホーキング博士はこんな言葉を残しています。
神は存在しない
いずれも、量子物理学という分野の中で一定の研究結果を出してきた人であり、その総合的な結論としてこのような言葉を使っています。
彼らは無神論派ではなく、無神論者だと言えるのではないでしょうか。
宇宙や世の中は偶然性の重なりで構成されており、そこに必然性はない。
ビックバンは偶然性であり、神が起こしたものではない。
世の中の法則が偶然性の連続であり、神がサイコロで必然性と世の中を創造しているとすれば、仮に神が存在していたとしても神ではない。
というわけです。
これを不確定性原理といい、素粒子の運動の不確定性が証明されました。
この証明により、神の存在はないことになります。
仮にいたとしてもサイコロで[動かしている]ので私たちと同じであり、絶対ではない。ということになります。

触れただけで病が治る?奇跡=エンタメ

さて、例えばイエスが重病人に触れただけで病を治した話や、盲目の人間に対して手をかざしただけで見えるようになるエピソードなどが多数言い伝えられています。
日本でも一部の宗教の創設者がこのような奇跡を起こしたという言い伝えが多数残っています。
これらは神の力なのでしょうか?
先述の通り、神が仮に存在したとしても素粒子の運動は不確定であり、そのような力は持ち合わせていません。
ただし、不確定であるがゆえに、偶然完治した可能性は完全否定できません。
また、東洋医学の気功術や、整体術など、現代から見れば、普通にいい感じの治療だった可能性もあります。
例えば治療ではなくても、ある程度メンタリズムを使えばこれらの奇跡を起こすことができます。
イギリス人のメンタリスト:「ダレンブラウン」はご存知でしょうか?
彼は「ミラクル」というステージの中で、自身を「私は無神論者だ」と語り、「無神論者だが、今から私は神になろう」「今から、新興宗教をステージ上で創り上げる」といいます。
実際に、会場にいた人が無作為に選ばれ、視力が劇的に回復したり、慢性的に悩んでいた痛みの部分が治ったりと、イエスキリストさながらの奇跡を会場にもたらします。
「ミラクル」はNetflixで見れますので、無料体験などを駆使して是非一度みてみてください。
仕込みがあるんじゃないのか?!!!そんなことあるわけないだろう。 そう思いましたか?そっくりそのままイエス(キリスト教を演出したプロデューサー)に返しましょう。
さて、ここからは、神はいないという前提のもと、筆者の大好きな宗教文化を盛り上げていく方法について考えていきたいと思います。
ちなみにダレンブラウンは著書の中で不確定性原理を元にした偶然性の実験についても触れており、その中で鳩に宗教概念を植え付ける実験を紹介していました。
オウム真理教のトラウマからそろそろ解放されましょう。

日本人の多くは、史上最恐のテロ事件、オウム真理教の一件があったため、宗教という存在に対して非常にデリケートになっています。
- 宗教=洗脳
- 大金がかかる
- テロ事件に巻き込まれる
といったイメージで宗教を見てしまいます。
さらに、しつこい訪問勧誘を行う新興宗教が比較的多い国というのもあり、宗教団体を見る目は冷たいのが現状です。
でも実を言うと、宗教ってとっても便利で、とっても日本人に合っている文化なのです。
宗教の便利な使い方

現代では、旅をする際にエアビや、ブッキングドットコムなど便利なサービスがあるため、旅先で宿に困ることはまずありません。
しかし、大昔~産業革命以前の人たちは当然、旅先で宿を確保するのは至難の業であり、、、最大の課題でもありました。
そこで宗教の出番となります。
団体のネットワークと教会というシステムを利用すれば、非常に便利に旅をすることができたわけです。
音楽家のモーツァルトはこんな言葉を残しています。

旅をしない音楽家は不幸だ
モーツァルト
音楽家は旅をして、インスピレーションを得て自身の創作活動に生かすべきであるという格言ですが、そもそもこの宗教ネットワークを上手く利用しないと宿の確保などできる時代ではなく、旅なんてできません。
モーツァルトはフリーメイソンの一員であったというのは有名な話ですが、旅先で各ロッジに滞在していたものと容易に想像することができます。
ちなみにモーツァルトなどの西洋音楽史に関しては別サイトにて記事を書いていますので、興味のある方は是非遊びに来てください。
【西洋音楽史の考察】モーツァルトの死後、一番儲けたのは誰なのか?! (筆者運営の外部サイト)
作曲家でピアニストのショパンもマズルカ島で結核にかかり、島民に追い出されてしまいますが。。。

その後、すぐにスペイン本土の修道院に身を寄せます。
このネットワークこそが宗教を最大限生活に生かすために便利な使い方だったわけです。
日本ではズバリこれ

日本では少し特殊で、そもそも日本人という概念自体が神道という宗教文化ネットワークでつながった民族であり、一つの宗教なのです。
その中でもライセンスフリーの仏教が入ってきて、無数に宗派が誕生し、同じ神道でも江戸時代に入り、少しづつグループが分かれていきます。
で、なんで、江戸時代にこぞってグループが分かれていったかというと、ズバリお伊勢参りのブームがあったからです。
お伊勢参りは日本全国各地から参拝者が訪れます。
そのお伊勢参り、今のように車や新幹線、飛行機で日帰り・・・というわけにはもちろん行きません。
参勤交代で最も遠方だった鹿児島の薩摩藩が水路と陸路で片道40日間と言われていますから、平均しても一か月くらいは歩きっぱなしの旅しっぱなしというのがお伊勢参りだったと考えられます。
その間の宿はどうするのか?
そうです。
各地の教会を利用します。
そうすることで、旅が円滑に進みますし、安全も確保されるわけです。
江戸時代にじゃらんはありませんから、次の教会までの道のりを、しっかり把握していれば、挨拶にもなりますし、コミュニケーションとしても機能し一石二鳥。
また、村社会である日本人にとっても、グループを構成したり、精神上の村ネットワークを構築するのは非常に相性がいいと言えます。
21世紀の日本の宗教を盛り上げていく方法とは?

神の存在が否定された今、宗教を文化として、歴史として、さらに、精神上の村ネットワークとして機能させることが重要になってきます。
これらの精神上の村ネットワークは人生の安心感にも繋がりますし、有事の際の孤独感や孤立からも救ってくれます。
現代の宗教家はこれらの宗教が本来持つ「人々に希望や安心をもたらす機能」については目をつむり・・・
- ひたすらに存在することのない神の偉大さ。
- 奇跡の言い伝え。
- 哲学の押し売り。
を続けると、若者の宗教離れはどんどん加速、オウム真理教のトラウマはいつまで経っても払拭できません。
ではどうすればいいでしょうか?
例えば、宗教団体の税制度を撤廃し、宗教団体がホテルを経営、教会をホテルとして開放する。
そこで、○○教信者は〇%引き!
とか、○○教信者はポイント5倍デー!
とか、○○教秘伝のおせち料理、添加物は一切使ってません!!!!
○○教の教祖が開発した特製郷土料理の販売。
もちろん信者割あり!
これらの入会をNetflixなみの価格のお布施でサブスクリプション契約する。
みたいな感じにすれば、21世紀の宗教は盛り上がっていくとは思いませんか?
そもそも現在の日本の宗教団体が閉鎖的すぎる。
お布施の値段もわからないし、その宗教に入ったらいくらかかるのか?
などもホームページをじっくり見ても不明。
・Youtubeチャンネルで、宗教団体Youtuberを輩出し、広くその宗教のイメージを伝えていく。
・お布施は月々たったの980円!などと明確にする!
・○○教48などのアイドルグループを作る!
などなど、神がいない以上精神上の村ネットワークとして、時代に即したコミュニティや、グルーピングをしていかないと、新規信者の獲得は難しく、いろんな儀式や、文化の歴史がある宗教もなくなってしまいますし、未だに一軒一軒インターホンを押して勧誘しているような昭和初期みたいなやり方をしていては、そりゃ広まりません。
アポなしで突然来られて、「神様が・・・」って言われても対応できません。
21世紀の宗教文化を盛り上げていくために、まずは宗教という概念の合理性と利便性を再認識してみませんか?
みなさんの参考になれば幸いです。