テクニカル分析の歴史をざっくり把握 / Technical analysis

この記事について

トレードBotの開発でもミソとなるテクニカル分析。
裁量トレードの割合が年々減少していってる昨今のマーケットにおいて、テクニカル分析の需要と精度は増すばかりです。
アルゴリズム取引市場全体は、2024年までに188億ドルに達する可能性があるという推測もあります。
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古代のテクニカル分析

テクニカル分析は古くから原始的な形で存在してきたと言われています。

Andrew W.LoとJasmina Hasanhodzicの共同著書「TheEvolutionof Technical Analysis:Financial Prediction from Babylonian Tablets to Bloomberg terminal」によれば、トルコのアナトリアとアジアのアッシリアの貿易において当時価格変動を追跡していたと書かれています。

The Evolution of Technical Analysis

17世紀~ジョセフデラベガとオランダ市場

1650年頃—アムステルダム、1692年11月13日 / 引用:Wikipedia

Joseph Penso de la Vega(ジョセフ・デ・ラ・ベガ)は当時アムステルダムに住んでいたダイヤモンド商人で、金融の専門家、哲学者、詩人でした。

ジョセフ・デ・ラ・ベガが1688年に執筆した「Confusion de Confusions」は、現代においてのテクニカル分析の指針となりました。

この本はスペイン語で書かれておりアムステルダムで印刷され、アントワープで出版されました。
ジョセフはスペイン人とポルトガル人のユダヤ人家庭に生まれました。
ジョセフは、タルムードトーラーコミュニティのメンバーであるアイザックアボアブダフォンセカとモーゼスラファエルデアギラールによって教育されています。

書籍の中で示された4つのルール

The first rule in speculation is: Never advise anyone to buy or sell shares. Where guessing correctly is a form of witchcraft, counsel cannot be put on airs.
最初のルールは次のとおりです。
株式を売買するように誰にもアドバイスしないでください。
正しく推測することが魔術の一形態である場合、助言を放映することはできません。

Confusion de Confusions

The second rule: Accept both your profits and regrets. It is best to seize what comes to hand when it comes, and not expect that your good fortune and the favorable circumstances will last.
2番目のルール:あなたの利益と後悔の両方を受け入れます。
それが来たときに手に入るものをつかむことが最善であり、あなたの幸運と好ましい状況が続くことを期待しないでください。

Confusion de Confusions

The third rule: Profit in the share market is goblin treasure: at one moment, it is carbuncles, the next it is coal; one moment diamonds, and the next pebbles. Sometimes, they are the tears that Aurora leaves on the sweet morning’s grass, at other times, they are just tears.
3番目のルール:株式市場での利益はゴブリンの宝物です。
ある瞬間は癰であり、次は石炭です。 ある瞬間のダイヤモンド、そして次の小石。 オーロラが甘い朝の草に残す涙である場合もあれば、ただの涙である場合もあります。

Confusion de Confusions

The fourth rule: He who wishes to become rich from this game must have both money and patience.
4番目のルールです。
このゲームで金持ちになりたい人は、お金と忍耐力の両方を持っている必要があります。

Confusion de Confusions

18世紀~本間宗久のローソク足

アジアにおけるテクニカル分析の最も古い例は18世紀初頭、江戸時代に遡ります。

本間 宗久(享保9年(1724年) – 享和3年(1803年))投機家であり行動経済学者であり、酒田出身の裕福な米商人である本間宗久は、現代でも世界中で使われている非常に重要なツールであるローソク足を開発しました。

最盛期には『酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵米雨が降る。』
『本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿様に』といった唄が流行るほどの影響力だったと言われています。

ローソク足チャートは、始値、高値、安値、終値の数値を使用し、両端に芯があるろうそくに似た方法で描画されます。

当時の高低は髭としてプロットされます。

日本の市場は当初、コメの現物取引のみが行われていましたが、1710年の初めから、コメ先物市場が確立。

同じ時期に大阪では山片蟠桃が活躍しています。

米相場の伝達

当時伝書鳩の文化もない日本でどのようにして江戸から大阪、また広島地域まで米価格を伝えていたのでしょうか。

山間部の多い日本では山の頂上に狼煙台を設置し、江戸から価格を仕入れたメッセンジャーが定時に狼煙を上げて価格の上下動を伝えていたと言われています。

江戸時代に経済の街とも言われた広島、尾道エリアでは今も狼煙を使っていたと言われる場所が残っており、米の価格変動に敏感な広島県の内陸地方にも速やかに価格変動が伝わっていたと言われています。

1896年~ダウ理論

ダウ・ジョーンズ・アンド・カンパニーの共同創設者であるチャールズ・ダウは、ダウ理論の先駆者として有名です。

1896年にはエドワードジョーンズとチャールズバーグストレッサーという会社も設立。

ダウ理論は数十年にわたって進化し、現在のテクニカル分析の基礎を築きました。

チャールズ・ダウはパターンと景気循環を探っていました。

ダウ理論は、ある平均値の1つが過去の重要なな高値を上回り、別の平均値も同様の上昇をたどった場合、市場は上昇すると述べています。

ダウは、日足、週足、月足のそれぞれの高値と安値を記録し、市場の山と谷のパターンを調査します。

チャールズ・ダウは1902年に亡くなったため、彼の研究の全てを発表することは叶いませんでした。

1920年~一目均衡表

一目の均衡表は、1920年代に日本の新聞記者でありジャーナリストの細田剛一が開発しました。

現代でも[ichimoku]というそのままの和名で世界中で熱心な愛好家がいるほどです。

彼は30年以上かけて技術を微調整し、1969年にようやく一般に公開しました。

彼は技術をバックテストするために1万人以上の大学生を雇ったとも伝えられています。

1969年、細田が書籍を出版したとき、その人気は一気に広まることになり、人気の指標となりました。

一目均衡表は、マーケットの方向性はもちろん支持線や抵抗線なども含めたストーリー全体を表しており、入口と出口のポイントまで多種多様なポイントを見れる画期的なものでした。

一目均衡表は当時アジア全体で絶大な人気を誇っていましたが、その複雑な構造故に徐々に人気が衰えていきました。

1930年:エリオット波動理論

会計士で投資家だったRalph Nelson Elliott(1871年7月28日-1948年1月15日)は1930年から、エリオット波動理論を開発。

1939年にフィナンシャル・ワールド誌の中でエリオット波動理論の連載が始まりました。

エリオットは、株式市場は予測不可能で不安定ではあるが、繰り返しのパターンで取引されていると固く信じていました。

「過去80年間にわたる観察の結果、株価は連続した5つの波動によって上昇しており、この上昇5波動が完了すると、次に3波動からなるその反動が起こることがわかった。こうして8つの波動をもって株価変動のサイクルが完了する」

日本テクニカル分析大全

1946年には「自然の法則-宇宙の神秘」の中でフィボナッチ級数についても言及しています。

フィボナッチ級数は1202年にレオナルド・フィボナッチが出版したLiber Abaciの中に記述されており、現代のテクニカル分析においてもフィボナッチ数に関する様々な分析手法が存在しています。

1935年~ギャン理論

William Delbert Gann、1878年6月6日 – 1955年6月18日)

1878年6月6日、アメリカ合衆国テキサス州アンジェリーナ郡ラフキンの綿農家の子として生まれた金融トレーダーのウィリアム・デルバート・ギャンは、主に幾何学や占星術、天文学を軸とした予測手法を開発しました。

ギャンはニューヨークのアスター図書館、ロンドンの大英博物館の資料を過去700年間の物価と、1820年以降の証券取引の記録を入念に調べ上げました。

この徹底した研究によってギャンは値動きの特性を把握。

季節性や周期性、幅があることや、戻り値にも1/3や1/4付近といった相場が存在することなどを発見しました。

1914年には第一次世界大戦や株価暴落を予想して的中させ、1928年末には「来年の見通し」として世界恐慌の時期と規模をおおよそ当てています。

ギャンの予想は9月3日とされていましたが、実際の「暗黒の木曜日」は10月24日でした。
わずか7週間+2日の誤差でした。

1955年6月14日に死去。

満77歳でした。

ギャンの価値ある28のルール

1, 一度のトレードで資金の1/10以上損失が出るようなリスクは取らない。

2, 常にストップロス注文を使う。

3, 取引を重複させない。(2つ以上の取引をオープンしていたら、最初の取引のルールに従う。)

4, 利益を損失にしない。(含み益が出たら、ストップロス注文を入れる。)

5, トレンドが分からない時は取引しない。トレンドに逆らわない。

6, 迷ったら出る。迷ったら入らない。

7, 活発な市場でのみ取引する。

8, 違う市場間でリスクを均等に分散する。

9, 指値注文はせず、成り行き注文で取引する。

10, 正当な理由がないのに手仕舞わない。

11, 取引で儲けた余剰利益は別の口座に置く。

12, 利益の薄い(scalp)取引はしない。

13, 損失を平均化しない。(ナンピンはしない)

14, 忍耐無く市場から抜け出したり、待つのが不安だからと市場に入ったりしない。

15, 小さな利益と大きな損失を避ける。

16, ストップロス注文を置いたらキャンセルしない。

17, 市場に頻繁に出入りすることは避ける。

18, 相場の両サイド(ロング、ショート)からお金を稼ぐことに意欲的であること。

19, 価格が低いとか高いからと言って買ったり売ったりしない。(値頃感で取引しない)

20, ピラミッディングはレジスタンスを超えるか、サポートゾーンが壊された時のみ成されるべき。

21, ピラミッディングは買いの時に上昇トレンドが強く、売りの時に明確な下落トレンドがある商品を選択する。

22, 負けポジションをヘッジしない。市場から出る。損を確定し、次の機会を待つ。

23, 正当な理由が無い限り、ポジションを変えない。その後はトレンドが変わる明確な兆候が無い限り、出ない。

24, 長い期間での取引で儲けた時は、トレードを避ける。規律ある計画的な取引プログラムを維持する。

25, 天井や底を推測しようとしない。天井か底かは市場が見せてくれるまで待つ。

26, 盲目な人のアドバイスに従わない。

27, 最初の損失後は取引を減らす。決して増やさない。

28, 間違って入って間違って出てはいけないし、正しく入って間違って出てはいけない。

Wikipedia

1948年~ロバート・D・エドワーズとジョン・マギー

1948年、ロバートD.エドワーズとジョンマギーは、テクニカル分析の歴史の中でも特に強力で影響力のある研究の1つ、ストックトレンドテクニカル分析を発表しました。

この分析はボリューム分析とチャートパターンにのみ焦点を当てています。

またこの研究は現代のテクニカル分析の基礎となっており、head and shoulders, triangle tops, bottoms, double tops, support, resistance, trend linesなど現代でも通ずる多くのテクニカル分析が研究されています。

アメリカでは第9版ともなっており、初版から50年以上経過した今でも色褪せることなく多くのトレーダーから愛読されています。

1949年~ドンチアンチャネル

Richard Davoud Donchian (1905年9月 – 1993年4月27日) / 引用:Wikipedia

商品および先物 トレーダーであり、マネージドフューチャーの分野のパイオニアだったリチャードドンチャンは、5日間および20日間の移動平均のクロスに基づいて戦略を策定した最初の人物でした。

Donchian Channelsは、移動平均計算によって生成される3本の線を基準にしています。

ドンチアンの両親は、1880年代、当時オスマン帝国の一部だった西アルメニアからのアルメニア人移民でした。

ドンチアンはイェール大学で経済学の学士号を取得して卒業。

その後1929年の大暴落では、多くの資金を失うことになります。

この経験をきっかけにテクニカル分析を学び、研究し始めます。

第二次世界大戦時にリチャード・ドンチャンは米軍としてシチリア侵略に参加。

彼は後に空軍統計官にまで昇進しました。

戦後、民間投資顧問および証券アナリストになります。

ドンチャンはルールベースの取引アプローチを開発、これは後にトレンドフォローとして世界中に知れ渡り、ドンチャンは「トレンドフォローの父」として知られています。

リチャード・デニス等で有名なタートルトレーディングシステムをはじめとした多くの現代的なトレンドフォローシステムは、ドンチャンのルールに基づいています。

1950年~ストキャスティクス

1950年、証券トレーダーのGeorge Lane(ジョージレーン(1921年– 2004年7月7日)がストキャスティクスオシレーターを開発しました。

%Kは「動きの速い」指標と、%Dは「動きを緩くした」指標の2つで機能します。

ジョージレーンは、ストキャスティクスインジケーターは、エリオット波動理論やフィボナッチリトレースメントなど、他の手法やインジケーターと組み合わせながら最適なタイミングで使用するのが良いと考えています。

Ralph Dystantもストキャスティクスインジケーターの開発に重要な役割を果たしています。
1948年、DystantはInvestment Educatorsと呼ばれる学校を運営し、株式市場取引のコースを提供しており、その中のエリオット波動コースの一部としてストキャスティクスを導入していたとも言われています。

1960年~指数移動平均

1960年代初頭、PN(Pete)HaurlanはHaurlan Indexを開発しました。

Haurlanは1960年代初頭にカリフォルニア州パサデナのジェット推進研究所で働いていたロケット科学者であり、EMAの数学的概念を借用しています。

1960年~MACD

1960年代に、GeraldAppelがMACDを開発しました。

MACDは、投資家が価格のトレンドの強みまたは弱み(強気または弱気)を理解するのに役立ちます。

1967年~リチャード・アームズ・ジュニアによるTRINインデックス

1967年代に、リチャードアームズジュニアはTRINを開発しました。

通称アームズインデックスとも呼ばれています。

これは、Advance-Declineデータに基づく短期取引用の指標です。

上昇銘柄と下落銘柄をそれぞれの出来高フローと結びつける為、騰落レシオを上昇銘柄と下落銘柄の出来高レシオで割り算して計算。

値が上昇すればマーケットは弱く、逆に下落すればマーケットは強いと言えます。

基準値1が重要となっており、1をクロスした時点がシグナルであると言われています。

主に買われ過ぎや売られ過ぎの状態を見つける為に使われており、他の分析テクニックなどと併せて使われることが多いです。

ニューヨーク証券取引所では、取引時間中、中央ウォールディスプレイにTRINが継続的に表示されています。

1969年~マクレランオシレーターと

マクレラン・オシレーターはシャーマンとマリアン・マクレランが開発した市場の動向を示すオシレーターです。

値が上昇すれば、上昇が優勢なのでマーケット全体は上向き、下落すれば下向きとなります。

1978年~相対力指数

J. Welles Wilder Jr. (1935年6月11日– 2021年4月18日) / 引用:Wikipedia

1978年にJ. Welles Wilder Jr.によって開発された相対力指数(RSI)は、価格変動と速度変化を測定するためのモメンタムオシレーターです。

ワイルダーは、1978年に出版した著書 『テクニカルトレーディングシステムの新しい概念』にてこの理論を最初に発表しています。

ワイルダーは機械エンジニアでしたが、テクニカル指標の父ともいわれRSIやSARなどの開発者として有名です。

1935年6月11日、テネシー州ノリスで生まれ。

アメリカ海軍で朝鮮戦争に参加した後、ノースカロライナ州立大学に通い、1962年に機械工学の学位を取得。

2020年には、ワイルダーはアルツハイマー型認知症とと診断され、2021年4月18日にニュージーランドのクライストチャーチにて85歳で亡くなりました。

RSIは0から100の間で移動。

70を超えると買われ過ぎ、30を下回ると売られ過ぎと見なされます。

RSIはTalibで計算できます。

1980年~ボリンジャーバンド

John A. Bollinger (1950 ~ ) / 引用:Wikipedia

アメリカの作家、金融アナリスト、テクニカル分析ボリンジャーバンドの開発者。

1980年代初頭にボリンジャーバンドを開発しました。

ボリンジャーは1977年に最初のマイクロコンピューターを購入。

コンピューター技術によってこれまで以上に複雑な分析が可能になりました。

1996年〜ボリンジャーはプログラミングを開始しています。

テクニカル分析の未来

20世紀の投機王と呼ばれたジェシーリバモアはテクニカル分析を用いていたことで有名です。

彼は自らの分析を手帳にメモしながらイン・アウトを見極めていました。

リバモアの株式投資術では、現在ではカップウィズハンドルと呼ばれるチャートパターンを見極めるために彼が行っていた分析手法が公開されています。

その後20世紀も後半、テクニカル分析はコンピューターの普及とインターネットの登場で急激に変化していきました。

近年、心理的要素を徹底的に排除したテクニカルと統計に基づくアルゴリズムトレードが主流になっており、世界のアルゴリズム取引市場は、2019年の111億ドルから、2024年までには188億ドルに成長するとの予想もあります。

2018年では米国株取引の60〜73%近くがアルゴリズム取引だったというデータもあります。

現在すべてを裁量トレードで行っているのは一部の個人投資家か、著しくプログラミング教育等が遅れたテクノロジー後進国のみだと推測できます。

私たち個人投資家に勝算がある行動は、ボリュームを動かせるだけの機関投資家がどのようなアルゴリズムでプログラムを組んでいるかを推測し、バックテストを繰り返すことにあります。

ニュースとストーリーはチャートの後から付いてきます。

テクニカル分析に関しては日本テクニカル分析大全一冊で、有名なテクニカル分析はほぼ学ぶことができます。

Kotaro
Kotaro
服部 洸太郎
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ渡りケルンにてAchim Tangと共に作品制作。
帰国後、金田式電流伝送DC録音の名手:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、録音エンジニアとしての活動開始。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックなどのアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、介護で使えるプログラムをM5Stackを使って自作。
株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにてアルゼンチンタンゴをはじめとした民族音楽に関する文化の研究、ピアノ音響、さらに432hz周波数を使った癒しのサウンドを研究中。
スタジオでは「誰かのためにただここに在る」をコンセプトに、誰がいつ訪れても安心感が得られる場所、サイトを模索中。