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本日は暗号資産の歴史について順番に辿っていきましょう。
歴史を辿ることで未来の成長可能性について考察することにつながるのではないでしょうか。
1975年~ディフィー・ヘルマン鍵共有


1976年、スタンフォード大学の2人の暗号学者、ホイットフィールドディフィーとマーティンヘルマンが「New Directions in Cryptography」という論文を発表しました。
暗号における基本的問題とされていた鍵配布の問題解決に迫るものでした。
これはディフィー・ヘルマン鍵共有として知られています。

- Whitfield Diffie(右)
- Martin Hellman(中央)
- Ralph Merkle(左)
New York Timesによると、公開鍵暗号方式はデータスクランブル方式であり、各当事者が1対の鍵を使用して、目的の受信者とメッセージを公に共有することができます。
公開鍵は第三者にも共有され、秘密鍵は受信者だけが知っており、メッセージのデコードに使用されます。
これはメッセージ暗号化の背後にある概念であるとともに暗号通貨の背後にある本質的概念でもあります。
1983年~デヴィッド・チャウムと暗号

David Chaumは、アメリカのコンピューター科学者で暗号研究者です。
彼は暗号化とプライバシー保護技術のパイオニアとして知られており、デジタルキャッシュの発明者として広く認識されています。
1982年の論文「Computer Systems Established, Maintained, and Trusted by Mutually Suspicious Groups」は、ブロックチェーンプロトコルに関する基礎となる概念を提案したものです。
David Chaumは、1989年にeCashと呼ばれるトランザクションシステムを使用した電子現金アプリケーションを開発したことでも知られています。
このデジタル通貨は、ユーザーの匿名性を確保し、ブラインド署名、混合ネットワーク、ダイニング暗号化プロトコルなどさまざまな暗号化プロトコルを発明することになりました。
1997年~アダムバックの「プルーフオブワーク」
1997年、英国の暗号研究者でサイファーパンクのAdam BackがHashcashを発明しました。
最近では、ビットコインマイニングを容易にしたテクノロジーでもあります。
1998年~ビットゴールドの起源
1998年に、2人の暗号通貨愛好家であるWeiDaiとNickSzaboは、通貨分散化についてのアイデアを発表しました。
当初彼らは計画通りにアイデアを実現することはできませんでしたが、その10年後には世界でビットコインとして知られるようになった概念の枠組みを築いていました。
2008年~Satoshi Nakamotoとビットコインの誕生
2008年10月31日、Satoshi Nakamotoは、ホワイトペーパー「ビットコイン-ピアツーピア電子キャッシュシステム」を公開しました。
Satoshi Nakamotoは、このホワイトペーパーのリリース前2008年8月18日にドメイン名[bitcoin.org]を登録しました。
2008年~ビットコインの最初の受取人
カリフォルニア工科大学の卒業生であるハル・フィニー(Harold Thomas Finney II, 1956年5月4日 – 2014年8月28日))は、再利用可能なプルーフ・オブ・ワーク通貨システムを作成しました。
2009年1月、彼はサトシナカモトから最初のビットコイン取引を受けたの最初の取引受取人となりました。
取引量は10BTC。
2013年、フィニーは医療費として巨額のビットコインを使用しました。
ハル・フィニーはフェニックスにて2014年8月28日に死亡し、アルコー延命財団で凍結保存されています。
2009年~ブロックチェーンの立ち上げ
この年、ビットコインソフトウェアが初めて一般に公開され、マイニングが正式に開始されました。
暗号通貨マイニングは、新しいデジタル通貨が作成されるプロセスとなります。
2009年1月3日、ブロックチェーンが開始され、ジェネシスという名前で最初のブロックが採掘。
約1週間後に最初のトランザクションが発生しました。
2010年~取引所でビットコイン取引が開始
2010年Hanyeczという人物はPapa John’s Pizzaのピザ2枚を10000BTCで購入しました。
2010年最初の暗号通貨取引所の1つであるマウントゴックスに上場されます。
上場当時のビットコインの価格は0.04951ドルで取引されており、取引総額はわずか0.99ドルでした。
その後ビットコインが初めて1ドルを超えたのは2011年2月でした。
2011年~マウントゴックスのハッキング事件
2011年6月に、アカウントがハッキングされたとされ、ハッカーは500000BTC近くを売り、875万ドル相当の損害を与えました。
2011年~Altcoinsの発売
最初のAltcoinであるNamesakeは、Bitcoinのリリースからわずか2年以内に発売されています。
2012年の終わりごろにPeercoinが誕生し、同じ年にリップルも誕生しました。
銀行や金融サービス会社は、システムでRippleプロトコルを使用できます。
XRPトランザクションはRippleの内部分散型台帳に依存しています。
2013年~シルクロード解体
2013年には、シルクロードの創設者とされるロス・ウルブリヒトがFBIに逮捕され、ビットコインの価格は急落しました。
シルクロードとは、2011年からはじまり2013年にFBIが解体するまで、ダークウェブ上で運営されていたオンライン違法市場です。
違法な武器や偽の身元証明も販売していました。
ユーザーは匿名のままビットコインのみを通貨として取引していました。
2013年~イーサリアムの発売
イーサリアムは、ヴィタリック・ブテリンとギャビン・ウッドの発案によるものです。
ブテリンは、2013年にeToroのCEOであるYoni Assiaと共同執筆したホワイトペーパーをリリース。
イーサリアムは、ビットコインとの概念に基づいたより機能的で一般的な計算プロトコルです。
イーサリアムの最も重要なポイントの1つとして、Defiまたは分散型ファイナンスをサポートしていることにあります。
2016年~イーサリアムのハック
2016年、匿名のハッカーがEthereum Blockchainを運営する分散型自律組織を攻撃し、1150万Ether(当時約5000万ドル相当)を盗みました。
2017年~ビットコインのスプリット
2017年8月、「ビットコインキャッシュハードフォーク」が発生。
ビットコインがBTCとビットコインキャッシュの2つの暗号通貨に分割されました。
ビットコインキャッシュの著名な支持者の中には、中本聡の当初のビジョンに近いと考えている人もいます。彼らは、支払いサービスアプリケーションをサポートするために暗号通貨のブロックサイズを拡張する方が良いと信じています。ブロックサイズの増加により、ビットコインキャッシュを日常の取引の媒体としてより迅速に採用し、クレジットカード処理の巨人と戦うことができます。36
2018年11月、ビットコインキャッシュは再びフォークを受け、ビットコインキャッシュABCとビットコインキャッシュSV(サトシビジョン)に分岐しました。現在ビットコインキャッシュと呼ばれているのはビットコインキャッシュABCです。
2020年に向かって~
2017年
日本の金融庁(FSA)は、国内11社を登録された暗号通貨交換事業者として公認します。
2018年
4月、リップルはヨーロッパ最大の銀行の1つであるサンタンデール銀行との提携を発表。
国際送金に特化したXRPテクノロジーと大手銀行との提携でリップルの価値が一気に高まりました。
2020年
10月にはPayPalが暗号通貨市場に参入。
顧客がPayPalアカウントを使用してビットコインやその他の仮想通貨を取引できるようにすると発表しました。
PayPalデジタルウォレット内は他にもイーサリアム、ライトコイン、ビットコインキャッシュが「直接」保存できるようになります。
2021年
9月7日、エルサルバドルはビットコインを正式に法定通貨として採用しました。

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服部 洸太郎
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ渡りケルンにてAchim Tangと共に作品制作。
帰国後、金田式電流伝送DC録音の名手:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、録音エンジニアとしての活動開始。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックなどのアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、介護で使えるプログラムをM5Stackを使って自作。
株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにてアルゼンチンタンゴをはじめとした民族音楽に関する文化の研究、ピアノ音響、さらに432hz周波数を使った癒しのサウンドを研究中。
スタジオでは「誰かのためにただここに在る」をコンセプトに、誰がいつ訪れても安心感が得られる場所、サイトを模索中。