バンドネオン誕生の歴史 / ハインリヒバンド – Heinrich Band

ハインリヒバンド

ハインリヒバンドは1821年4月4日、ドイツとオランダの国境付近のクレーフェルトで産まれました。

アコーディオンからバンドネオンへ

1820年代終わりに外での演奏を可能にするためにウィーンで開発されたアコーディオン。

最初のアコーディオンは1829年楽器製作家シリル・デミアンが創りました。

その後1834年に、キーが鍵盤式ではなく、ボタン式に改造されたコンサーティーナという楽器が開発されました。

これがバンドネオンの原型と言えます。

コンサーティーナは1829年イギリスの物理学者:チャールズ・ホイートストンがイングリッシュ・コンサーティーナの特許を取得しました。

ここからジャーマン式コンサーティーナとなり、バンドネオンへと繋がっていきます。

ポイントジャーマン式コンサーティーナを最初に開発したのはドイツのケムニッツ市に住む楽器製作家カール・フリードリヒ・ウーリヒです。

ちなみにアコーディオンを含めた蛇腹式楽器のことを日本語で手風琴(てふうきん)と書きます。

1847年誕生

ハインリヒバンドは、ケムニッツ市へ旅した際にウーリッヒのジャーマン式コンサーティーナを購入します。

そこへ、低音域を拡張するなどボタン配列に変更を加え、1847年にバンドネオンを考案しました。

ただしハインリヒバンド自身は当初、自分の楽器を「アコーディオン」と呼んでおり、「バンドネオン」とは呼ばなかったそうです。

後に、バンドの名前と、アコーディオンの「イオン」を組み合わせて「Bandonion」という楽器名が生まれました。

このため、ハインリヒバンドがバンドネオンの父と言えますが、原型を開発したのはウーリヒのため、ウーリヒが産みの親とする考え方もあります。

こちらがウーリッヒのジャーマン式コンサーティーナですが、形と言いほぼほぼバンドネオンそのものですよね。

ドイツ3Bを産んだ音楽が大好きなドイツでは、音楽をどこでも携帯しようと必死に開発していたんですね。

こちらは毎年ハノーファーで行われるDampf-Festivalの様子です。

4分31秒付近から自動音楽が流れますが、ここでは手風琴も使われてると思われます。

ドイツでは手風琴が今でも一般的に愛されている様子がうかがえます。

現在でも大手DAWの開発社はドイツに集中しているのはこの映像を見ればなんとなく分かりますよね。

海を渡りアルゼンチンへ

実はドイツからアルゼンチンへ渡った詳細な経路や歴史は明らかにされていません。

1900年頃にはアルゼンチンに渡り、1910年代にはすでにアルゼンチンではタンゴに欠かせない楽器になっていたのは事実です。

フリオ・デ・カロはバンドネオンがアルゼンチンに渡った歴史を直接見ていたかもしれないですね。

フリオ・デ・カロ(サイト内移動)

Kotaro
Kotaro
服部 洸太郎
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ渡りケルンにてAchim Tangと共に作品制作。
帰国後、金田式電流伝送DC録音の名手:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、録音エンジニアとしての活動開始。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックなどのアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、介護で使えるプログラムをM5Stackを使って自作。
株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにてアルゼンチンタンゴをはじめとした民族音楽に関する文化の研究、ピアノ音響、さらに432hz周波数を使った癒しのサウンドを研究中。
スタジオでは「誰かのためにただここに在る」をコンセプトに、誰がいつ訪れても安心感が得られる場所、サイトを模索中。