インプロビゼーションは意図することに意味がある。

世の中には数多くの音楽ジャンルがあるが、中にはアメリカで誕生したジャズから派生したフリージャズ、そのフリージャズの概念をオーネット・コールマンなどがヨーロッパに輸出したヨーロッパジャズ(ヨーロッパジャズスタイルはモンクなどの影響もあり)、そこからヨーロピアンフリージャズ、そこからフリーインプロビゼーションに派生したジャンルが存在している。

後述するがフリーインプロビゼーションのような「あるモデルを否定するモデルを再構築する」というのは、西洋文化的なアプローチであると言える。

フリーインプロビゼーションの文化は西洋で誕生したと考えて差し支えないだろう。

フリージャズやフリーインプロビゼーションとはなんだろうか?

フリージャズは簡単だ。

それは単にジャズ音楽のスタイルの一つにすぎない。

フリージャズスタイルを使って音楽をそのコミュニティー内で楽しむためのコミュニケーションツールの一つである。

そこにはビバップスタイルなどと同様にそのスタイル独自のフレーズやお決まりのストーリーが存在している。

当然そのコミュニティーの言語(フレーズやストーリー)を知らないもの同士では成立しない。

成立しないが故にフリージャズ=適当に無茶苦茶やってると認識するビバップスタイルのミュージシャンも一定数存在する。

もちろんビバップスタイルのミュージシャンもフリージャズのお決まりフレーズや構成を知ればフリージャズスタイルのミュージシャンとセッション可能である。

私たち日本人がなんの知識もなく、いきなりロシア語の筆記体をみたら適当に書いてるようにしか見えない・・・(のではないだろうか?)

引用:Twitter

フリーインプロ

ところがフリーインプロビゼーションは特定のコミュニティー内でのコミュニケーションツールとは言えないし、フリーインプロビバイザーも同コミュニティー内でコミュニケーションを取ろうという意識はない。

少なくともジャズスタイル(フリージャズ、ビバップ含め)のような幅広い意味でのコール&レスポンスの概念は存在していない。

じゃあ一体なんのために演奏するのか?

それは自然界の法則への否定なのである。

注意

当然これは筆者個人の持論だ。
すべてのフリーインプロビバイザーが自然界の法則への否定を軸に演奏しているわけでもなく、フリーインプロビザーションという概念の中にコール&レスポンスを尊重する人もいる。
みんな違ってみんな良い。

自然界に隠された美しい数学

元々は別サイト(Pinocoa)にてエリオット波動理論の解説記事をかくためにフィボナッチ数列と自然界との関わりのヒントを得ようと読んでみた本だったが、フリーインプロビゼーションに関連する考察要素が凝縮されていると感じたのでこちらのサイトでコラムを書くことにした。

Pinoao (Pythonやテクニカル分析等左脳を使うためのサイト)

人間も法則通りに生きている

自然界には一定の法則がある。

これは必ずしもあると言っているわけではなく、あるものもあるし、法則(一定のモデル)が観測(発見)されていないものもある。

引き潮のときに砂に残った波の跡や、砂漠の砂丘などだ。
砂漠はその独特で魅力的な構造から、さながらパターンづくりの実験室である。
とはいえ、砂にパターンができる仕組みについてはあまり明らかになっていないのが実情だ。

自然界に隠された美しい数学

つまり暫定的に自然界にはすべて一定の法則がある(だろう)と言える。

人間も然り、構成されたプログラム通りの動き方をし、思考パターンをし、後天的なプログラムである「習慣」通りに生きている。

人生とは単に習慣の結果だ。

レイ・ダリオ

自然界が仮にすべて一定の法則で動いているとすれば、後天的にパターンや法則を書き換えることが可能な人間が奏でるフリーインプロビゼーションという芸術スタイルに求めるのはその法則を崩すある種の非現実性にこそ美学があると言える。

西洋音楽を起点とする現在の多くのアカデミックな音楽スタイルはこの法則、規則、パターンのみで構成されている。

フィボナッチをはじめ自然界に存在している法則のパターンで構成された規則やパターンの音楽に人間は快を感じ、そうじゃないものを不快に感じるわけだ。

生々しい美の否定が新たな美を生む

コンピューターのプログラムでフリーインプロビゼーションは成立しない。

なぜならパターンや法則を崩すためのモデルが必要になるからである。

人間が瞬間瞬間で思考するフリーインプロビゼーションももちろん人間の思考が生み出した瞬間瞬間のモデルで創られているが、その瞬間に創られたモデルをさらに否定することにこそフリーインプロビゼーションアーティストの手腕が求められると言っても過言ではない。

故に『瞬間が生み出した思考モデルを瞬時に判断しそれをモデル化する前に否定する』というパフォーマンスにこそ、フリーインプロビゼーションの楽しみ方があると言える。

つまりタイトルにあるように、フリーインプロビゼーションは決して自由ではない。

『瞬間が生み出した思考モデルを瞬時に判断しそれをモデル化する前に否定する』という明確な意図を持っていないと成立しないと言えないだろうか?

筆者が欧州のフリージャズミュージシャン、フリーインプロビバイザーとの共演の中で感じてきたことをたまたま手にした「自然に隠された美しい数学」を読むことによって再び意識するきっかけとなった。

まとめ

フリーインプロビゼーションは先述の通りに定義するとすれば、人間の耳には「不快な音楽」という認識になるはずだ。

西洋音楽史が人間の快を基準に創り上げてきた(自然の)法則を否定するモデルが一定数存在しているからだ。

ただ「不快だから」と食わず嫌いしている方も多いのではないだろうか?

理路整然とされた美しさもまた至極のアートであると同時に、自然界には存在しない人間だけに与えられた可能性である「それ」を否定する美しさもまた至極のアートである。

このような視点からフリージャズという法則とパターン、そしてそれを意図的に否定するフリーインプロビゼーションの違いを今宵楽しんでみてはいかがだろうか?

おすすめアルバム

フリージャズスタイルは個人的にエバン・パーカーがおすすめ。
彼はフリージャズのアーティストであるが、フリージャズスタイルの中にフリーインプロビゼーションをトレースしていくスタイルが魅力。
フリージャズの中からフリーインプロビゼーションをトレースする作品としてはジャズベーシスト:デイブ・ホランドとの「Uncharted Territories」は一聴の価値あり。

この記事を書いた人

こうたろう

フォトグラファー&サウンドデザイナー
ミュージシャンだった父の音楽スタジオと、モデルだった母の仕事場であるフォトスタジオの現像ルームが子供時代の遊び場という恵まれた環境で育つ。
音楽大学を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlとセッションを重ね声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ。
ドイツから帰国後ピアノソロ作品アルバムと共に同時リリース。
金田式電流伝送DC録音の第一人者である五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、サウンドデザイナーとしての活動を開始。
独立後、音楽プロデューサーとして音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックを中心としたアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
現在は元ピアニストの経験を生かしたミュージシャンのライブフォトを得意としながら、肖像写真、動物写真、自然写真を中心にミュージックビデオの制作などオーディオ技術も得意とするフォトグラファーとして活動中。