早すぎない終活 あなたは生きますか?死にますか? 第二話「病院で受けた身体拘束(ドラッグロック)」

※この記事は2020年1月20日に更新されました。

前回の記事

早すぎない終活 あなたは生きますか?死にますか? 第一話

退院後すぐにケアマネージャーと打ち合わせをし、今後、在宅でのケアと、緩和ケアに関して話し合いました。

退院後~一時回復

すぐに訪問看護の手配をしてもらい、大変丁寧に看護してくださる訪看さんと出会いました。

退院時はせん妄が解けず自力で首が座らない状態のままでしたが、2~3日すればせん妄が解け、デイサービスにも通えるようになりました。

とにかく筆者としては一刻も早くせん妄状態から脱出し、重度のアルツハイマー型認知症といえども

・安心できる場所に自分が今いると認識(自宅)
・自分を愛してくれる存在がそばにいる認識(家族)
・自分が誰だかわかる

状態で過ごしてもらうこと、そしてこの状態のまま寿命を全うしてもらうことが願いでした。

(後期高齢+重度のアルツハイマー型認知症の場合)入院すると確実にの真逆のことが起こります。

このとき、緊急の痛みがあった場合は、痛み止め→訪問看護師へ連絡→ドクターに連絡。

という流れで整っていました。

本人も、自力で食事ができ、年始ということもあり、大好物のお寿司が食卓には並び、「美味しい!!」と幸せそう。

「〇〇〇(自分の名前)は本当に幸せでーーーーす」と叫んだりしていました。

そして二回目の強い胸の痛みの訴え

痛み止めでは治まらず、訪問看護師へ連絡、しばらくして往診のドクターが駆けつけてくれました。

いよいよ、お見送りの時がきたのかと覚悟を決めていたところ、往診のドクターが「救急車呼んでいいですか?」とまさかの発言。

一瞬なんのことかわからず、「何故ですか?」と質問すると、「心筋梗塞です。このまま搬送せずに見送るというのは私としては、罪悪感がありましてね。。。」という言葉に、返すこともできず、「お任せします」とだけ伝えました。

すると、往診のドクター自らが知り合いの病院に連絡し、救急車の手配をし、救急搬送となりました。

ここで注目してほしいのは、「罪悪感がある」という点。

第一回でも触れましたが、このあたりの倫理観を整理できていないドクターが確実に存在しています。

救急搬送されるということは、病院にとっては死亡率にもつながるため、なにがなんでも延命・蘇生させられます。

→参考記事「望まない延命治療」は、なぜ医療の世界からなくならないのか

ドクターの「罪悪感」という感情で、寝たきりになったり、人工心肺装置をつけたり、胃ろうになったりされてはたまりません。

つくづく、医者と弁護士は感情で動いて欲しくない。。。と実感しました。

搬送されてどうなったのか?

搬送中の救急車の中ではすでに呼吸は落ち着き、乱れることもなく、安らかな笑顔でした。

ところが病院に到着し、検査室に入室直後から激しいせん妄状態となり、叫ぶ暴れるの繰り返し。

せん妄になることはもう分かり切っていたことでした。

検査の結果は心不全。

利尿剤を投与して治療しますとのことでした。

そして、激しいせん妄状態が続いたため、サイレースという眠剤をとめどなく、ダバダバ点滴から注入され、24時間酸素吸入器の音がただ響き渡るような状態に。

ポイント
これは現在社会問題となりつつある、薬を使った身体拘束、通称「 ドラッグロック (薬による拘束)」と呼ばれるものです。
昭和時代は拘束具を用いて身体拘束していたのですが、それが人権問題となり見直され薬による身体拘束と姿を変えて復活しています。
本人の意思などは完全に無視して24時間眠らされる行為、身体拘束そのものです。
また、拘束具よりもやっかいなのは、副作用による認知力の極端な低下など、多岐に渡ると言われています。
今回投与された薬
今回投与されたのは、ベンゾジアゼピン系と呼ばれるもので、サイレースという眠剤です。
他にも、より強力なラボナ(バルビツール系)という眠剤もあります。

点滴から水分補給をしているとの理屈で、口はエジプトのミイラのような状態になり、薬が切れてくる時間になると、さらに注入し、目覚めさせてももらえないような看護が続きました。

この状態、筆者の場合は身内なので感情が挟まっているかと思いますが、みなさんは客観的に見てどう感じるでしょうか?

そして、この状態、本人は幸せを感じるでしょうか?

みなさんはどう思いますか?

虐待とすら感じる

本人の意思とは関係なく、眠剤で眠らされ続ける。

筆者は個人的に人権を無視した虐待だと感じました。

なんとしても退院させるべく、担当医に連絡を試みる。

電話口でドクターは「退院ですか?別にいいですけど、酸素吸入器外したらまた同じようなこと起こってどうせ入院ですよ?まあ○○さんの場合せん妄も激しくて手に負えないので次回からは受け入れはしませんけどね」

とおっしゃいました。

「ちなみに今、現在はどのような治療を行っているのでしょうか?」

との質問に対しては・・・・

「いや、もう治療どころか、治療をするための薬を飲んでくれないので、眠剤を飲んでもらうのがもう大変なんですよ。(鼻で笑ったような感じ)
治療っていうか、飲んでくれないので、点滴から眠剤入れて、今は眠っています。

続けて・・・

「ちなみに循環器内科で看取りとかないんじゃないですか?そんなん聞いたことないですけどね~」

とはっきりとおっしゃったのが印象的でした。

前回の記事で紹介させていただいた一つ前のドクターの言葉で、「「循環器内科に関してはやっとここ数年で議論が始まり・・・」

そうです、この眠剤垂れ流しの先生は、ここ数年で始まった議論についていけていないし、関心のない、古いタイプのドクターでした。

前回でもご紹介した、中村先生の記事でもこんなフレーズがありました。

心不全治療の最前線では、毎日のように「どこまで治療を続けるのか。
どこで治療を止めるのか」が議論されています。
この「どこで」の判断基準が点数化されたフレイルになる可能性は否定できません。

求められる考え方の転換今後は病気を治すのではなく、病人を治す医療へ 第2回   中村 正人(なかむら まさと)氏

いろんなことに驚きましたが、冷静に退院を懇願しました。

一回目の心筋梗塞時に担当してくれたドクターから「積極的治療は望まない」というカルテも到着している状態で、搬送時も「はい、○○(前の病院)のカルテに書いてある通り、家族としては積極的治療は望みません」と明言しています。

検査結果が出たらそのまま往診のドクターに返してくれるものだと思っていました。

重要な点は、「積極的治療を望まない」「在宅で過ごす」という強い意思表示を口頭でも文書でも搬送された時にお伝えしています。

これだけ明確に明言しているにもかかわらず、24時間眠剤を垂れ流してでも治療を続けようとしたこの病院。。。

祖母を迎えにいって、「覚醒」させたあと、まだせん妄状態が続く祖母に「迎えに来たよ!家に帰ろうね!!!」と手を握り声をかけると、「酸素マスクをつたるように涙が流れ、声はほとんど出ず、口の動きだけで「ありがとうね。。。ありがと」と言い続けていた光景、生涯忘れることのない出来事でした。

ドラッグロックで身体拘束を続ける病院から救出することができて本当に安堵したことを今でも覚えています。

重度のアルツハイマー型認知症ではありますが、涙が流れるということは、ちゃんと理解してます。

意に反して眠らされ続けていることを。

帰宅後・・・

幸い速やかに引き取ったので、せん妄自体は1日目の夜からすでに回復段階にありました。

しかし、眠剤の後遺症で、声が常に裏返り、24時間眠らされ続けていたため、唇の皮がカリカリでめくれあがり、筋力も著しく低下し、完全に寝たきり状態となりました。

もちろん、罪悪感でこの病院に送ったドクターが寝たきり介護をしてくれるわけではありません。

眠剤を垂れ流したドクターが寝たきり介護をしてくれるわけではありません。

ドクター側のドクターとしての法解釈や倫理観はあったと思います。

命の問題・・・本当に難しく、筆者自身も答えが出せません。

命の専門家であるドクターが「○○する」といったときに、命に関して普段考えることのないド素人は意見することはできないのが現状ではないでしょうか。

ここに関して、「私の命の倫理観は・・・私にとっての延命の定義は・・・」とすぐに答えられるようにしておくと、ドクターとの関係も少し変わってくるかもしれません。

弁護士の先生へのアプローチの場合、だいたい依頼目的がはっきりとしています。

・無罪になりたい
・少しでも刑を軽くしてほしい
・あいつを訴えたい(○○円くらい欲しい)

しかし、医療になると、依頼人である私たちが、「どうしてほしいのか?」をまとめきれていないのが現状です。

まずは、私たちが・

・どうしたいのか?
・ドクターに何を求めるのか?

を明確に整理し、定義し、 往診のドクターが「救急車呼んでいいですか?罪悪感があるので・・・」と言った場合に反論し、議論する準備をしておかなければいけないのかもしれません。

寝たきりになり、せん妄が解け一週間

せん妄が解け

・安心できる場所に自分が今いると認識(自宅)
・自分を愛してくれる存在がそばにいる認識(家族)
・自分が誰だかわかる

当初の願いはまずは叶っています。

一連の経験から筆者が感じることまとめ・・・(次回へ続く)

早すぎない終活 あなたは生きますか?死にますか? 第三話

早すぎない終活 あなたは生きますか?死にますか? 第一話