Johann Friedrich Franz Burgmüller
1806年12月4日 – 1874年2月13日 (67歳没)
ドイツのピアニスト兼作曲家。
年表
1806年
ドイツのレーゲンスブルクで生まれ。
父はオルガン奏者・指揮者のヨハン・アウグスト・フランツ・ブルクミュラー(1766年 – 1824年)です。
母親はピアニストで歌手のテレーズ・フォン・ザントでした。
1829年 (23歳)
カッセルに移住。
ルイ・シュポーアとモーリッツ・ハウプトマンに師事しました。
1832年~1874年 (26歳~)
没するまでパリを中心に活動。
ピアノの小品やオペラ、バレエ音楽などを作曲しています。
ブルクミュラーが作曲した「25の練習曲 作品100」は、日本のヤマハがピアノ教則本として採用しています。
弟のノルベルト・ブルグミュラー(1810年 – 1836年)も作曲家・ピアニストでしたが、26歳で夭折しました。
こうたろう
服部 洸太郎
フォトグラファー&サウンドデザイナー
ミュージシャンだった父の音楽スタジオと、モデルだった母の仕事場であるフォトスタジオの現像ルームが子供時代の遊び場という恵まれた環境で育つ。
音楽大学を卒業後ピアニストとして活動を開始。
自身のピアノトリオで活動後単身ドイツ・ケルンへ渡独。
ケルンを拠点に活動するアーティストAchim Tangと共に「ピアノとコントラバスのためのソナタ」を制作。
ドイツから帰国後ピアノソロ作品アルバムと共に同時リリース。
金田式電流伝送DC録音の第一人者である五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入り。
独立後、音楽プロデューサーとして音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックを中心としたアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加し、本格的に写真、映像技術を学ぶ。
現在は元ピアニストの経験を生かしたミュージシャンのライブフォトを得意としながら、肖像写真、動物写真、自然写真を中心にミュージックビデオの制作などオーディオ技術も得意とするフォトグラファーとして活動中。