【死すべき定め】感想~死について考える

※この記事は2020年7月8日に更新されました。

この本と出会ったのはちょうど、介護中の祖母が年末心筋梗塞を発症し、在宅看取りを検討、その後、看取ってくれるはずでしたが、医療関係者の手違いで、再度救急入院させられ、搬送先でドラッグロックという虐待を受けた結果寝たきりになり、延命治療についての情報収集と、倫理観について考えていた時に出会いました。

初版は2016年6月24日。

比較的新しい書籍にはなりますが、目まぐるしく変化していく時代。

今から4年前ということなので、現在はまたかなり状況は変わってきていると思います。

しかし、当時の米国の延命治療の現場や、著者自身のドクター経験から、また、実際に著者のお父様が末期がんとして看取りをしていく様子などについてかかれています。

人生とは?

死とは?

生きるとは?

について非常に深く考えさせられる書籍でした。

著者は現役のドクター

アトゥール・ガワンデ(1965年~現在55歳)

現在ブリガムアンドウイメンズ病院勤務(執筆当時)

ハーバード大学医学部・ハーバード大学公衆衛生大学院教授。

全世界の外科手術の安全性向上を目指すNPO法人Lifeboxとアリアドネ研究所の技術革新センターの部長を務めています。

また、お父様もドクターで、病院などの経営者としての側面もあり、メールで仕事をしていたり、最後までやりたい仕事があるといった感じで、膵臓がんで亡くなったスティーブジョブズのような印象でした。

アトゥール・ガワンデ 医師は、「死すべき定め」以外にもたくさんの書籍を書かれています。

米国の保険

米国の保険制度というと、もう民間の保険会社だけ!というイメージですよね。

筆者もこの本を読むまでは民間の保険だけだと思っていました。

なので、なぜ米国で延命治療や寝たきり老人が増えるのか?いまいちピンとこなかったのです。

というのも、延命治療や寝たきり老人が創られる背景には公的保険制度が大きく関係しているからです。

どう関係しているのか?

日本はまさにこの制度の影響で、「病院は寝たきり老人が欲しい」、「家族は入院させて介護したくない」の両者のニーズが一致した結果寝たきり老人が人為的に作り出されます。

病院は延命治療や寝たきり老人を受け入れると・・・

・看護師やドクターなどの人件費が最小限に抑えられる。
・胃ろうが中心なので給食関連の経費を抑えられる。
(食事関連は医療保険外の経費なので、手厚く稼働したとしても利益を出しにくい)
・謎の薬打ち放題。
(点滴でタコ足配線状態なので、なにかと理由をつけて薬を処方しまくりです)
・死亡したとしても遺族から文句を言われにくい。

といったメリットがあり、介護をしたくない家族は医療保険の限度額制度により、介護やホームなどに入所するよりも安く抑えられます。

この仕組みが両者がこぞって延命治療や寝たきり老人を創り出そうとする負の仕組みとなっているわけです。

米国の公的保険とは・・・

無保険者がたくさんいることは広く知られているのですが、これは高齢者には当てはまらないそうです。

米国では合法的に5年以上居住している65歳以上のすべての人は連邦政府が管轄する社会保険、メディケアの対象になるそうです。

メディケアは1965年にスタート。

日本が国民皆保険制度を達成した4年後のことだそうです。

ちなみに連邦政府から支給される年金は1920年にスタート、日本の国民年金は1955年スタートとのこと。

かなり似た制度であることがうかがえます。

このため2016年あたりの米国では今の日本と似たような問題を抱えていたわけです。

最も アトゥール・ガワンデ 医師のような権威性のあるドクターがこの本のようにしっかりと社会に対して問題提起したから観測できた問題とも言えます。

人生にとって大切なことをピックアップする

あなたにとって大切なことはなんですか?

人それぞれ生きる目的や意味があり、人生にとって大切なことがあると思います。

それは決して世界を変えてやる!とか、起業する!とかそういう話ではありません。

  • 食べることが大好き。
  • 風呂に入るのが好き。
  • タバコがなかったらいやだ。

など人生の楽しみです。

映画が好きな人は大好きな映画が見たい。

などでもいいのです。

しかし、延命治療や寝たきり老人にされてしまうと、それらは叶いません。

病院や家族の都合だけで人生の大切なものや、大切な時間を強制的に奪われてしまうことになります。

本当に大切なことは、人間としての尊厳を最大限確保し、それらを尊重すること。

人間としてどう最期を生きるか、どう最期を過ごすか?そんな当たり前のことを改めて再認識させられる本でした。

お父様の話

アトゥール・ガワンデ 医師はお父様の末期がんの最後をしっかりと過去の経験から導き出し、お父様に「Happy」を与え続けました。

これこそが医療なのではないか?そう感じさせられます。

それは、お父様の死後も然りでした。

アトゥール・ガワンデ 医師はお父様の死後の価値観まで最大限お父様の人生にとって大切なものを守り抜きました。

エピローグの最後にはこんな文章がありました。

親がどれだけ努力しても、オハイオの小さな町で子どもをまともなヒンズー教徒に育てるのは難しい。
神が人の運命を決めるという思想を私は信じる気にはならないし、これからやることで死後の世界にいる父に何か特別なことをできるとも思わない。
ガンジス川は世界の大宗教の一つにとっての聖なる場所かもしれないが、医師である私にとっては、世界でもっとも汚染された川の一つとして注意すべき場所である。
火葬が不完全なままに投棄された遺体がその原因の一つである。
そうしたことを知りながら、私は川の水を一口飲まなければいけなかった。
ネットでバクテリアの数を調べておいて、事前に抗生物質を服用しておいたのだった。

死すべき定め  エピローグ

死後の価値観や本人の宗教までもしっかりと尊重し、対応しています。

在宅看取りの価値観がようやく日本でも根付いてきつつあります。

しかし、病院は安全!という社会の先入観と、寝たきり老人を囲いたい病院が存在し続ける限り、人間らしい最期を迎えるのは難しいのが現状です。

人は死ねなくなった

先進医療の進歩は素晴らしくたくさんの人々の人生を救い、全うする手助けとなっています。

筆者も22歳の頃に椎間板ヘルニアで車椅子生活を余儀なくされ、とうとう痛みで睡眠もとれなくなり、手術・・・

見事、今は筋トレやランニングもできる身体になりました。

当時の執刀医の先生にはどう表現したらいいのかわからないほど感謝しています。

医療の進歩には本当に感謝です。

100年前だったら、筆者は一生車椅子生活、そして、あまりの激痛で気を失いそのまま死んでいたかもしれません。

しかし、この先進的な医療というのがまさに、諸刃の剣・・・・となってしまっているわけです。

本文の中で印象的なフレーズがありました。

アトゥール・ガワンデ 医師が60代女性の緊急手術をしたときのエピソードでした。

彼女は未婚で子どももいなかった。
それでICUの面会室で彼女の姉妹に会い、足の切断と気管切開に進むべきかどうかについて話し合った。
「姉は死にそうなのですか?」と姉妹の一人が私に尋ねた。
この質問にどう答えるべきかわからなかった。
「死にそう」が何を意味するのかすらよくわからなかった。
過去2~30年の医学の進歩は死に関する何世紀にもわたる人類の経験や伝統、言葉を時代遅れにしてしまい、かわりに新たな難しい課題を人類に与えた。
どうやって死ぬのか?

死すべき定め 「定めに任せる」

医療の進歩によって、人類は死に方がわからなくなっているのです。

どんな方法を使ってもいいのであれば、基本的に人間は死ななくなりました。

アトゥール・ガワンデ医師のお父様の例でも、実際に手術中に○○の処置を続行か中止か?を迫られるシーンがありました。

それも、患者本人にとっての人生を考慮し、人生を優先するのか生命を優先するのか?で選択肢は変わるということを私たちに教えてくれます。

上の引用の例でいうと、足の切断と気管切開をしてどうなるのか?どうしたいのか?60代女性はどういう人生を送りたいのか?がはっきりしていると、選択ができるはずです。

とても大切なことは、私たち一人一人が死に方を考えなくてはいけないフェーズに人類は突入しているということ。

「死に方を考える」、「人生や生きるとは何か?」を考える、そんな普段の日常生活では進んで考えることのない価値観を考えるきっかけを間違いなく与えてくれる名著だと感じました。

まとめ

延命に関することや、死に関することを決めるのは本当に難しいことです。

特に日本では死の話などはタブー視される傾向にあったりするために余計困難となります。

しかし、しっかりと家族で話し合ったり、普段から個々の価値観として死の定めを受け入れ、人生設計の一環とした死を考えていくことで、人間らしい最期を過ごすことができると感じましたし、考えることで非人道的な寝たきり老人を人為的に産み出さない社会を作っていけるような気がします。

死について考えるきっかけに一度読んでみてはいかがでしょうか。

みなさんの参考になれば幸いです。

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