先日の日記でシェアした、花束みたいな恋をしたの流れで、Netflixにてあのこは貴族を拝見。
こんなセリフが印象的。
「東京というのは違う階層の人とは出会わないようになっているんだよ」
あのこは貴族 / 相良逸子のセリフ
ちなみにAmazonでも見れるようです。
これだけのためにネトフリ契約するのがちょっとという方はAmazonでレンタルがいいですね。
唐揚げとワインを飲みながら2daysで楽しみました。
そういえば、唐揚げといえばこれ使ってるんですが、超使いやすいです。
揚げ物意外にも焼き物にも使ってます。
あらすじ
東京生まれの華子は何不自由ない暮らしをしてきたお嬢様。
Wikipedia
30歳を目前に恋人に振られ人生で初めての岐路に立たされていた。
結婚に焦った華子は婚活をスタートさせ、お見合いでハンサムな弁護士・幸一郎と出会う。
幸一郎も華子と同じく裕福な家庭で育った上流の人間で、二人は婚約者となる。
一方で地方生まれの美紀は恋人なしの32歳。猛勉強の末に慶應義塾大学に進学するも経済的理由で中退し自力で生きてきた。
そんな美紀が大学時代に学費が払えずラウンジで働いていたころに出会ったのが幸一郎。
美紀にとって幸一郎は生まれも育ちも全く違うが、同じ名門大学に通っていた幸一郎は美紀にとって憧れの内部生。
次第に美紀は幸一郎にとって都合のいい女となり、その腐れ縁のような関係は幸一郎が華子と婚約してからも続いていた。
華子と美紀は幸一郎を通して出会い、お互いの人生を見つめなおすようになる。
花束みたいな恋をしたとは違って、視聴者がどこをトレースし、何を感じ、どう受け取るかを考えるタイプの映画でした。
飲みながらの視聴に後悔する作品の一つ。
原作は、山内マリコさんのに小説です。
2015年に小説すばるにて連載された後、2016年に集英社文庫から刊行されました。
階級社会の日本
イギリスやインドなどのようにいまだに社会制度として階級が存在している国とは違い、日本の場合はぼんやり、なんとなく存在しています。
それはやはり戦後の財閥解体の影響も強く、何よりも1947(昭和22)年5月3日に施行された「日本国憲法」により、華族制度も廃止となり、表面上階級社会は幕を閉じたため。
しかし実際にはかなり色濃く残っているのと、音楽スタジオなので音楽業界の話と絡めてレビューしていくとすると、音楽家がこういった階級社会のことを全く知らないで生きていくのは無理があるということを最初にお伝えしておきます。
音楽家を目指す方や、音大生は是非知っておいてもらいたい内容というか、映画になっています。
これは言ってはいけない雰囲気に支配された、必ず知っておきたいことでもあります。
印象的なシーン
ネタバレというこもないけど、全く真っ白な状態で映画を楽しみたい方はここで閉じて視聴してからまた戻ってほしい。
冒頭で家族が集まるシーン、主人公の華子はタクシーに乗り、移動しますが、その際運転手から話しかけられます。
貴族は運転手と話なんかしませんよね。
それらがカメラワークやライティングで絶妙なバランスで表現されています。
また、幸一郎の実家に挨拶に行く際、部屋の入り方、移動、一連の流れ、つまり所作ですが、このあたりがしっかりお家全体で見定められている様子が印象的でした。
挨拶の席での会話ももうこの貴族社会の方々のあるあるで、結婚の際は興信所で調査するというのもあるあるだったりします。
この階級の人たちは自由恋愛で結婚することはできません。
家と家との結婚であり、お見合い、またはそれに近い形が取られます。
昨今のフェミニズムを刺激するような内容ではありますが、財閥解体やそれ以前の華族社会では、結婚といえば『女性は完全に政治の道具』であり、基本的には『贈り物』でした。
これは別に筆者の考えとかそういうのじゃないと前置きさせてもらいますが、結納金とは結婚の準備をしてもらうお金ですが、貴族社会ではまあはっきり言って娘さんの買取なわけです。
古い日本語には『キズモノ』なんて言葉もあったり。。。
キズモノは結納金の額が下がります。
戦前の貴族社会での話ですよ。
華子の結婚後の実家の様子こそピックアップされていませんが、そこもあえてシーンを減らしているのだと思います。
現代では若干これらのニュアンスが中和されている様子もぼんやり伝わってきます。
音楽家は貴族じゃないが貴族になれる
さて、映画の中でもバイオリン奏者が出てきます。
この音楽家枠というのはまた特殊なわけです。
音楽家はもちろんなんですが、芸術家というのは社会的にも特殊枠として捉えられています。
冒頭のシーンでも示唆されていますが、基本的にこういった貴族階級の人たちというのは、一般の人が会話すらする機会はありません。
故に、『シェフを呼んでください。』
と貴族と会話する機会のある料理長は尊敬される。
音楽家の場合BGMを演奏する人の中から、『あのビオラ奏者を呼んでください。』となる可能性はシェフよりも断然低い。
華子のようなお嬢様は幼い頃から細かく、『あの人と話して(口をきいては)はいけません』と厳しく教育されています。
成長するにつれて口をきいてもいい人物か、口をきいてはいけない人物かを見分けられるようになっていき、定着します。
ちなみに生演奏付きの会食なんてのはすごく豪華に見えますが、実際はコース料理と同じくらいの金額で雇うことができます。
その音楽家を家に呼んで友人と一緒に楽しむわけです。
実際に筆者もピアニスト時代は何度か『ギャラは言い値で払いますから家でやってくれませんか?』と言われたことがあります。
このあたりは映画『最強のふたり』でそんな様子が垣間見れます。
音大は階層の外
一般の大学であれば偏差値などの水準でこういった階層の方からまず篩にかけられます。
なので貴族のこどもが音楽家を目指す場合、芸大ならどこにいくか厳しく指定されますが、音大なら割とどこでもいいと言われたりします。
それはこういった階層の外という空気感があるからなんですね。
芸大は知性と教養が必要なため、貴族の子があんまり賢くない場合は音大に入ってほしいわけです。
マネーロンダリングのごとく、まさに知性ロンダリングの意味合いがあるのが言ってはいけない事実なんですね。
音大の場合はまさに階層の外。
音大の空気や雰囲気や匂いというのは完全にスルーされます。
それはこういった階層の方が花嫁道具の一つとして音大に入ったりすることがあるからです。
おそらく十中八九、華子もなんらかの芸術の教養をもっていることでしょう。
音楽が得意な場合は音大に進まされます。
そのため、社会からもこういった貴族階級の方からも特殊扱いされるわけです。
特殊扱いされるから『口をきいてもらえる』可能性が高いです。
なので、音楽である程度のスキルを持っていれば、通常では出会えない謎の人脈が増えていったりします。
しかも特別枠のまま。
故に音大にいけば、本物の貴族、成金貴族、庶民、とかなり明確に感じ取ることができ、実は華子のような貴族は、本当に大学通ってるのか?ってくらい庶民と交流がなかったりします。
ハイドンに学べ!庶民の音楽家がすべきこと
音楽家という枠組みが特殊枠なのは今にはじまったことではありません。
例えば大工の父と、料理人の母の間に生まれたハイドンは、典型例。
ハイドンは生涯のほとんどをエステルハージ家に仕え、その暮らしぶりもお付きの人がいたほどで、エステルハージ家の人たちにかなり近い貴族の暮らしをしていたと言われています。
ヨーゼフ・ハイドン (FRANZ JOSEPH HAYDN)
最晩年のベートーヴェンはハイドンの生家の絵を見て、フンメルに向かって次のようなコメントを残しています。
あれほど偉大な人物がこれほど粗末な小屋に生まれたとは!
他にも西洋の音楽家はパトロン制度をうまく利用し社会的な特殊枠で生きている人は非常に多く、ドイツの庶民階層の音大生(クラシック音楽関係)は卒業が近くなると、まずパトロン探しを始めるそうです。
クラシック音楽の偉人たちももれなく、みんな貧乏です。
貧困ではありませんが、貧乏です。
いつも製作費を工面することに追われています。
ハイドンだってたまたまエステルハージ家の中でも音楽が好きな当主が多い時期に入り込めたけど、音楽に全く興味のない当主に変わると、追い出されたりしますよね。
サリエリだって、モーツァルトに貴族お抱えポジションを奪われないように必死でしたし、モーツァルトは借金に追われ続けた晩年を過ごしています。
【西洋音楽史の考察】モーツァルトの死後、一番儲けたのは誰なのか?!
あのショパンだって、ホームレスになり、教会に住まわせてもらっていたこともあります。
住める場所を探す晩年を送っていました。
ハイドンはもっともお金に苦労することのない人生を送った音楽家例ですが、彼に学ぶとするとやはり貴族階級との付き合い方になってきます。
故に最後まで貴族との付き合いが途切れることなく生きることができたわけです。
当時アンタル・エステルハージはハイドンを含むほとんどの音楽家を解雇しました。
所作の重要性
日本でもこういうことを教えてくれる人がいれば音大生でもドイツの例のようにパトロン探しや、そういった社会構造に馴染めるような所作を身につける時間が取れますが、財閥解体や華族の廃止などで声を大にして言えないこの構造ゆえに、誰も教えてくれない状態で、もちろん授業もない状態で音楽家として社会に出なければいけなくなるケースがほとんどです。
そのため、貴族枠ではない音大生の多くは、吹奏楽ビジネスに流れていき、負のループが繰り返されるわけです。
華子のような所作を自然に身につけるためには1年や2年頑張ったところで難しいところがあります。
故に常日頃から気にかけて生活していくことが重要になります。
筆者も音楽家特殊枠にて、この階層の方と話す機会がありますが、もうすべての所作が圧倒的に違います。
話し方や声の抑揚、歩き方そして、立ち姿まで。
あのこは貴族の見どころとして、是非華子の話し声のトーン、出し方、抑揚に注目して楽しんでみてください。
一度リアルF4みたいな方に会ったこともありますが、もう無条件で好きになるんです。
もちろんリアルF4なのでいずれトップに立つ方ですが、所作はもちろんですが、無条件で『この人のためなら・・・』『この人についていきたい』と思わせるカリスマ性が備わっていたりします。
このあたりもあのこは貴族で示唆するようなシーンがあります。
でも、ああいう男性って、絶対あるじゃないですか、女性の問題。
あのこは貴族
モテるんです。
カリスマ力もあるんです。
こないだのパーティーだって、そつなくホステスやってくれるから呼ばれただけだし、ニコニコ頷いて空気を循環させてほしいんだろうね、女をサーキュレーターだと思ってんのかな。
あのこは貴族 / 時岡美紀
結局一度も『ありがとうございます』というセリフがなく次のシーンに移動しますが、こういったチケットがどういった理由で出されているのか?など美紀はしっかりと考える癖がついているというわけですね。
ちなみにここでのチケットとはまた別ですが、別の記事にて楽屋訪問のマナーや招待チケットを受け取ったときのマナーなども紹介していますので参考にしてくださいね。
演奏会の楽屋訪問で持っていく差し入れやお花選び “訪問マナーまで徹底解説”
さて、話を戻しますが、時岡美紀のように露骨にこういう扱いをされても、幸一郎さんのカリスマ力が圧倒的に上回ってしまうためOKになる。
そんな空気があるわけです。
そういった方々と一緒くたにされる音楽家はやはり、最低限の所作を身につけないとやっていけないところがあります。
ハイドンがあれだけ長くエステルハージ家に仕えることができたのも、ハイドンが貴族の所作を身につけたから。
あのこは貴族でも出てくるようにエステルハージの当主が、来賓の方々に『あの方は、育ちが違うのね』なんて思われない所作がハイドンに備わっていたことは間違い無いでしょう。
それはモーツァルトが生涯フリーランスを余儀なくされたことと比較するとわかりやすいかもしれません。
モーツァルトはフリーメイソンがパトロンだったわけですが、まあ言い方は悪いですが、当時としては反社がバックについていたようなもんです。
世の中の本当を知る
音楽家とは芸術家。
どんな知識も叡智も学び、それらを人間の感情と融合させて作品を作ります。
故に圧倒的な知識量が必要になります。
とにかく勉強、勉強、勉強が必要です。
庶民が一生懸命勉強してもそれは、貴族社会の方々が当たり前の一般常識だったりすることを忘れてはいけません。
生まれた時から茶会に出席し、正月に会食。
映画で出てくる内部生というのは、時岡美紀のように必死で勉強して受験をしなくてもいい教養と知性をすでに持っている内部生であると映画からも伝わってきます。
世の中の残酷な真実を知ること、そしてそれに争わないこと。
西洋の音楽家のほとんどは貴族のご機嫌とりが毎日の仕事でした。
つまり接客業なわけです。
それは資本主義の世界において、当時は庶民階級の音楽家が貴族と資本取引ができなかったことも大きなポイント。
しかし、現代ではマーケットは開かれており、誰とでも取引ができます。
【まとめ】現代の音楽家がやるべき4つのこと
- とにかく貪るように勉強する。
- 貴族なあのこと付き合える所作を叩き込む。
- 資本取引を学ぶ。
- 世の中のいってはいけない事実を受け入れる。
はっきりいって演奏スキルはクレーメルやアルゲリッチの世代で頭打ちです。
演奏スキルなんて現代ではあの水準か、あれ以下かの二択だと思います。
全世界の音楽家の99%以上はあれ以下です。。。という世の中の事実を受け入れることが大切であると筆者は思います。
その中で音楽家だからこそできること、そして音楽家が未来に対してどんなアプローチができるのか?
これらを考えることがエッジになるでしょう。
長い音楽史を振り返ると21世紀の今は明らかにアーカイブのフェーズです。
次の時代のExplorerたちの準備をしてあげる。
新しい文化はある日突然生まれることはない。
むくむくと時代背景、その他様々な要素が複雑に絡み合って誕生していきます。
長い歴史の中で今の音楽家がどんなピースになれるのか?
人類のアートというマクロな視点でどんなアプローチができるのか?
改めて深く考えるきっかけとなった映画『あのこは貴族』は超おすすめです!