【1947年】 – まるで恋をしているように

AlmostLikeBeing in Love

「AlmostLikeBeing in Love(るで恋をしているように)」は、フレデリック・ローウェ作曲、アラン・ジェイ・ラーナーの歌詞によるショー音楽です。

1947年ミュージカルブリガドゥーンのために作曲。

ブリガドゥーン

100年に1日だけ現れるスコットランドの村「ブリガドゥーン」に出くわした2人のアメリカ人観光客のおはなしです。
観光客の一人であるトミーは、ブリガドゥーン出身の若い女性、フィオナに恋をします。
この曲は第一幕に登場します。

初演はブロードウェイのプロダクションでデイビッドブルックスによって歌われました。

その後、1954年の映画版でジーン・ケリーによって上演されます。

Frederick Loewe

引用:Wikipedia

ドイツ語名フリードリヒ・ロウ(1901年6月10日- 1988年2月14日)オーストリア生まれのアメリカ人作曲家。
ウィーンでエドマンドとロエベの間に生まれました。
ベルリンで育ち、5歳から13歳までプロイセンの士官候補生学校に通います。
幼い頃から、ロエベはピアノを学び、音楽家だった父親のリハーサルを手伝いながら、7歳で作曲を始めます。
その後ベルリンの音楽院に進み、クラウディオ・アラウ、フェルッチョ・ブゾーニとオイゲン・ダルベールに師事。
13歳のときには、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演した史上最年少のピアノソリストでした。
1924年、父親が受けたニューヨークでの仕事をきっかけに、ロエベは父と一緒にニューヨークへ向かいます。
そこでドイツクラブや映画館での無声映画の伴奏者としてピアノを弾く仕事を見つけ、1931年に、ErnestineZerlineと結婚。
その後彼らは1957年に離婚しました。
ロエベは、劇場のパフォーマー、プロデューサー、マネージャー、ディレクターのたまり場となっていたラムズクラブを頻繁に訪れ、彼のキャリアが拡大していきました。
ロエベは1972年にソングライターとして殿堂入りし、7年後の1979年にはアメリカンシアター殿堂入りとなります。
ロエベは86歳で死ぬまでパームスプリングスで暮らしました。
カリフォルニア州カテドラルシティのデザート記念公園に埋葬されています。

Alan Jay Lerner

引用:Wikipedia

アラン・ジェイ・ラーナー(1918年8月31日– 1986年6月14日)は、アメリカの作詞家および台本家。
ニューヨークで生まれた彼は、エディス・アデルソン・ラーナーとジョセフ・ジェイ・ラーナーの息子であり、その兄弟であるサミュエル・アレクサンダー・ラーナーは、ドレスショップのチェーン、ラーナーストアの創設者でした。
ハーバード大学でラーナーはジョンF.ケネディの同級生でした。
1936年と1937年の夏の間、ラーナーはジュリアードで作曲を学びます。
この時期ハーバードに通いながら、ボクシングでの事故で左目を失明しています。
私生活では8回の結婚をしており、20年間ラーナーはアンフェタミン中毒者でした。
ラーナーはマンハッタンにて67歳で肺がんで亡くなりました。

この記事を書いた人

こうたろう

フォトグラファー&サウンドデザイナー
ミュージシャンだった父の音楽スタジオと、モデルだった母の仕事場であるフォトスタジオの現像ルームが子供時代の遊び場という恵まれた環境で育つ。
音楽大学を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlとセッションを重ね声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ。
ドイツから帰国後ピアノソロ作品アルバムと共に同時リリース。
金田式電流伝送DC録音の第一人者である五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、サウンドデザイナーとしての活動を開始。
独立後、音楽プロデューサーとして音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックを中心としたアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
現在は元ピアニストの経験を生かしたミュージシャンのライブフォトを得意としながら、肖像写真、動物写真、自然写真を中心にミュージックビデオの制作などオーディオ技術も得意とするフォトグラファーとして活動中。