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この記事について
本日は農業について考察します。
東京大学の農学博士である鈴木宣弘先生の書かれた書籍「農業消滅」を読んでみて感じたことや現状や未来について考察してみます。
危険なお薬を食べる日本人

農作物にかけられるお薬
農薬や成長促進剤。
非表示になるトリックやカラクリ、安全そうに見せるテクニックなどなど細かく例を挙げればキリがなくなってくる現代の食文化。
この書籍では21世紀に入ってから徐々に明るみに出てきた貿易上の都合や条約などの解説がふんだんに出てきます。
古くは1970年代のアメリカとの貿易で取り扱われたレモンの話が出てきます。
日本がいくら有害認定しても、アメリカの食べ物を日本で売れなくなる可能性が出てくると、アメリカから指導が入り、改訂されるという歴史的な流れ。
“1975年4月、日本側の検査で、アメリカから輸入されたレモン、グレープフルーツなどの柑橘類から防カビ剤のOPP(オルトフェニルフェノール)が多量に検出された。そのため、倉庫に保管されていた大量のアメリカ産レモンなどは不合格品として、海洋投棄された。
抜粋:農業消滅 / 鈴木宣弘
これに対してアメリカ政府は、「日本は太平洋をレモン入りカクテルにするつもりか」と憤慨し、日本からの自動車輸出を制限するぞと脅したため、1977年に、OPPは、「(日本では収穫後にかけるのは禁止されているが)アメリカが収穫後にかけた場合は、「食品添加物」ということにする」というウルトラCの分類変更で散布を認めたのだ。”
この流れは現在も続いていて、禁止農薬である、OPPやイマザリルの名前が日本の消費者にマイナスイメージを与えるという理由で表示撤廃の交渉が進められているそう。
そういえば、2015年あたりから、柑橘系の食品に「このレモンには防腐剤が添付されています。」と表示されることが目立っていましたが、2022年時点でその表示はみかけなくなりました。
畜産も然り
成長ホルモンの投与に関しては随分前から指摘されていました。
日本ではオーストラリア産の牛肉が安全というイメージがあるかもしれませんが、それはグラスフェッドビーフと呼ばれるオーストラリア国内もしくはEU輸出向けの牛肉であると指摘されています。
反対に人工穀物を使って育てられた牛をグレインフェッドと呼びます。
日本でもオーストラリアやニュージーランド産の牛肉や羊肉にグラスフェッドビーフと分かる表示があるのを見かけますが、これは高い安全性を示すものでお値段も高くなります。
逆にグラスフェッドビーフとわかるマークが入っていないものは人工穀物(中に何が入っているかはすべてを把握できない)を使って育てられた牛肉ということになります。
“一方、アメリカでは、トランプ政権になってからも、アメリカ産牛肉の禁輸を続けるEUに怒り、2019年にも新たな報復関税の発動を表明したが、EUはアメリカからの脅しに負けずに、ホルモン投与をされたアメリカ産牛肉の禁輸を続けている。
抜粋:農業消滅 / 鈴木宣弘
EUでは、アメリカ産の牛肉をやめてから年(1989年から2006年まで)で、域内では乳がんの死亡率がパーセントも減った国があった(アイスランド▲・5パーセント、イングランド&ウェールズ▲・9パーセント、スペイン▲・8パーセント、ノルウェー▲・3パーセント)(『BMJ』2010)。
そうしたなか、最近は、アメリカもオーストラリアのようにEU向けの牛肉には肥育時に成長ホルモンを投与しないようにして輸出しよう、という動きがあると聞いている。
日本だけがザル状態で輸出が続けられているそうです。
グリホサートの大量摂取
グリホサートという除草剤についても触れられています。
“アメリカの穀物農家は、日本に送る小麦には、発がん性に加え、腸内細菌を殺してしまうことで、さまざまな疾患を誘発する懸念が指摘されているグリホサートを、雑草ではなく麦に直接散布している。収穫時に雨に降られると小麦が発芽してしまうので、先に除草剤で枯らせて収穫するのだ。
抜粋:農業消滅 / 鈴木宣弘
枯らして収穫し、輸送するときには、日本では収穫後の散布が禁止されている農薬イマザリルなどの防カビ剤を噴霧する。「これはジャップが食べる分だからいいのだ」とアメリカの穀物農家が言っていた、との証言が、アメリカへ研修に行った日本の農家の複数の方から得られている。”
日本人がグリホサートを使うケースというのは、主に雑草の除草のみに使われているとのこと。
雑草の駆除といえば元来日本でも山羊の仕事でしたね。


これは数年前にPentax SPⅡで撮影したフィルム写真。
知り合いの農家さんを訪ねた際にちょうどヤギくんが除草というおやつの時間だったのでパシャリ。
ここから考察

さて、書籍の内容は基本的に事実を淡々と紹介されており、鈴木先生個人の意見や考え方で印象が左右されないように配慮されています。
事実やデータに関しては権威ある東京大学の農学博士の情報ですので、非常に信頼できるデータであると言えます。
鈴木先生ご自身も次のようにコメントを書かれています。
“繰り返しになるが、一つ強調しておきたいのは、筆者は、遺伝子組み換え食品、ゲノム編集食品、肥育ホルモン、農薬、化学肥料、食品添加物などが「安全でない」と言っているのではない。「安全かどうかについては、まだわからない」部分があり、かつ、心配する消費者も多いなかで、消費者に選ぶ権利を保証する必要があると指摘しているのである。”
抜粋:農業消滅 / 鈴木宣弘
食の安全が脅威にされされているという事実は各方面発信されている方も多いですが、一番重要なこの部分「まだ誰もわからない」という点を飛ばして、「危険である」と結論づける風潮は筆者自身も大変危険だと感じます。
その点、鈴木先生の書籍では「危険である」と断定されておらず、例えば〇〇では規制されていることや、〇〇では禁止されているもの、という紹介、また、先述の引用からもある通り、〇〇を規制したところ、乳がんの死亡率が低下したというデータ(因果関係の立証はしていない)のみを淡々と書かれている点が非常にわかりやすく、安心して読むことができました。
ただし、一点注意したいのが後述しますが、鈴木先生自身が確証バイアスに囚われていないかという懸念は感じます。

つまり、鈴木先生ご自身の考えや意見については上記の引用通り断定的な発言は控えておられますが、その考えや意見を肯定するためのデータや情報の紹介に偏っている可能性はないか?という疑念はしっかり持ったまま読んでいく必要があるかと思います。
生き物に対するリスペクト
書籍では成長ホルモンを使った低コストについても触れられていますが、それはなにも牛肉だけではなく鶏肉も然りです。
20世紀前半から急速に人類に食べられるようになったチキンはとある畜産農家の発注ミスからブームが起こったとする説もありますが、20世紀に入るまではそもそもここまで毎日大量に鶏肉は食べられていませんでした。
品種改良が加えられて現在鶏肉の出荷日数はどんどん短くなっていき、過去出荷効率を上げるために成長ホルモンを投与した鶏の足を折って余計なダイエットをさせないという畜産家がいたほど、命に対してのリスペクトは薄れてきている昨今。
私たちにとっての資産とは何か
現代では食について考察する時間がないほど、日常の社会に追われ、疎かにしてしまっています。
ただ人が生きるということは、食べるということであり、最も根幹の部分を担います。
よく「食えない時代」や「食えるようになった」など芸事の世界でも言われたりしますが、私たちがなんのためにお金を稼ぐかというと、それはもう食う(食べる)ため。
ここにすべてが詰まっているわけです。
食えるようになるために働く、食うために働くというのが人類の最も最古且つ不変的な行動形式になります。
そこにマネーが介在していく様に関しては貨幣の誕生を含めた経済学の分野にも波及してくるかと思います。
貨幣として機能しているわけです。
書籍の後半では主に農業のマネーのお話が出てきますが、なぜわたしたちの唯一絶対の資産である農作物にマネーが介在しているのか?という点も考える必要があります。
貨幣論についてはこちらの書籍が非常にわかりやすいのでシェアしておきます。
で、ここがぶっ飛びすぎてしまうと、資本主義の否定に走ってしまい、元も子もない状態になります。
資本主義はもちろん諸刃の剣な側面もありますが、人類を進化、成長させてきた暫定的に地球上で最も優れた社会システムであるとされています。
ぶっ飛びすぎない程度に考えてみると、わたしたちはもっと各個人がこの唯一絶対とも言える農作物という資産管理に意識を向けるべきであると考えさせてくれる書籍でした。

筆者は農業の専門知識もなく、業界の事情もわからないため、書籍を読んで「そうなのか」とうなづくしかないですが、それはつまり、日本に流通している食べ物について「知らない」という状態であると言えます。
そうです、スーパーに並んでいる食べ物、実際なんだかよくわからないんです。
後述しますが、実際味もついていないものも多く、それがなんなのか本当によくわからない状態であると言えます。
食品を購入するというのは資本主義上の取引、トレードであり、なんだかよくわからない物を購入するというのは、例えばそれが株式だったとして同じことができるかどうか?
考えてみる必要があります。
内見や調査をせずに不動産を購入できるかどうか?を考えてみる必要があります。
食べ物だって本来トレードする際は投資対象としてよく知り、調べ、未来の自分に利益が出るかどうかを考察した上でトレードするべきだと改めて考えてみるのはいかがでしょうか。
本物の食べ物

みなさんは本物の食べ物を食べたことがあるでしょうか。
こういう言い方をすると誤解を招く恐れがあるので、あえて言い直しますが、化学が介入していない食べ物を食べたことがあるでしょうか。
筆者は食に関して非常に詳しい友人がおり、化学が介入していない食べ物をしばしば口にしたことがあります。
そしてあえてここで書く理由については、筆者は化学が介入していない食べ物を口にしたのは成人してからであり、感動して涙したことを今でも覚えているからです。
本物の野菜
野菜には本来味があります。
野菜に味があることを知ったのはこれまた成人してからで、化学が介入していない野菜を初めて食べた時の感動は忘れません。
ホリエモンが「野菜も食べなきゃダメよ」と言われてブチギレる本当の理由はおそらくここにあって、「野菜は食べなきゃいけないから食べるんじゃないんだと、美味しいから食べるんだよ」と言っていましたが、「野菜も食べなきゃダメよという指導を子供にしなければいけなくなった理由はどこにあるか考えてみろよ?そこに感情的になったんだよ」というニュアンスがあったのではないかと個人的に想像しています。
そういった化学が介入していない味のある野菜を食べて、野菜それぞれの味を知った後に、化学が介入した野菜を食べると、いかにそれらが「風味」だけを残した食べ物があるかがわかります。
それはまるで「梅風味」のお菓子のようで、それは梅を食べているわけではありません。
本物の肉
こちらも本物の定義は化学が介入していない肉と定義しましょう。
本物の鶏肉、鹿肉を捌いて食べたことがあります。
本物の肉はカッチカチです。

カッチカチやぞ!
それは当然です。
鶏肉だって毎日歩き回っているわけで例えもも肉だったとしてもゴムのように硬い筋肉で覆われています。
おそらく子供の咀嚼力では噛み切れないと思います。
私たちがスーパーで購入するブヨブヨに油が乗った鶏肉は、あえて狭いケージの中に入れて無駄な(食べる際に)筋力をつけさせないようにしている肉であることがわかります。
鹿肉も然り、狩で仕留めた鹿はそれはそれはもう無駄な脂肪がほとんどない強靭な筋肉だけで構成されており、決して舌に乗せた瞬間体温で溶けていくような脂が混ざったお肉ではありません。
咀嚼回数は50回や60回を超えようかというほど噛み続けなければならず、本物の肉とは、それだけ噛み続けながら時折日本酒を流し込むという風情ある食事が楽しめます。
現代人が噛まなくなる、というあたりもこういった食の変化の影響であると言えます。
こうした本物の食べ物に触れる機会がない現代人。
本物の食べ物を知るだけで、化学が介入した食べ物に対して疑念を持つきっかけになるのではないかと考えます。
まとめ:国民皆農家論?

2022年2月から始まったロシアとウクライナの問題ですが、世界各国からロシアへ経済制裁が加えられています。
一部のロシアに詳しい識者からはロシアはダーチャシステムがあるので、経済制裁が長期戦になったとしても、そう簡単に根を上げないという指摘もありました。
ダーチャシステムとは、ソ連時代に誕生した別荘システムで、ほとんどのロシア人家庭にはダーチャという別荘を持っているとのこと。
ここで農作物を生産することが可能になるというわけです。
ロシアの様子などを伺うと、経済制裁の影響で3月時点でスーパーでも食料品がなくなり、外資のファーストフード店もサービスを停止、みなパニック状態であると聞きます。
もちろんソ連時代から放置していて老朽化が進み機能していないダーチャもあるでしょうから、どれくらい信憑性があるかはわかりませんが、危機の時に自分で自給できるというのは何よりの強みであると言えます。
金のなる木という比喩がありますが、まさに資産のなる木、畑はわたしたちの手で産み出すことができるということを知るだけで食べ物について深く考察するきっかけになるのではないでしょうか。
そして筆者も含め昭和後期〜平成初期生まれの人にとっては農業はもはや特殊な領域であり、イメージすらできません。
幼い頃から土や泥を口に入れることを禁止され無菌状態で育ってきました。
全員が農家になるわけにはいきませんが、農作物を栽培する知識と知恵は収集していくことが大事なのではないでしょうか。
わたしたちは飢餓を知らない
戦後の飢餓を体験された方々のお話を伺うと、虫でもなんでも食べるしかなかった。
選ぶ余裕なんてなかったと聞かされます。
昭和後期〜平成初期に生まれた世代はもちろん、戦後日本が豊かになりつつある社会で生まれた世代は飢餓を知りません。
筆者の亡くなったおばあちゃんも米を洗う際、すすぐ時に一粒でも落とすと必ず拾っていました。
例え排水溝に落ちても綺麗に洗って炊飯するのです。

ある時、Youtubeで見たカルボナーラのレシピをおばあちゃんに食べてもらおうと、「卵はね、黄身の部分だけ生クリームと混ぜて使うんだって」と言いながら筆者が白身の部分を捨てようとするとこっぴどく怒られたことは忘れません。
なんて愚かなことをしたんだと今でも反省しています。
この本をきっかけとして食の安全はもちろん、大切さ、食べられるということの平和への感謝を今一度思い返すきっかけにしましょう。
「いただきます」は教えなくていい
いただきます。
この言葉と意味は教える必要があります。
しかし食事の前に手を合わせていただきます。という行為。
これは、本来自然と芽生えてくるはずなのです。
初めて捌いた鶏肉と、化学が介入しない野菜を食べた時には、いただきます。
そして自然にごちそうさまでした。
と口にした物でした。
ここに日本人独特のアミニズム的宗教観があるように感じますし、感謝の意味と食(命につながる)へのリスペクトを感じることができます。
決して言わせるべきことではなく、子供たちが自然にいただきます、ごちそうさまでしたを感じられる食生活がある未来が大切なのかもしれません。
一方で、確証バイアスについて触れましたが、なにごとも反証を持って考察していくべきだと思います。
地域循環型も素晴らしいですが、そういった小さなコミュニティーの中でうまく生きられない、村社会に馴染めない人が救われる最後の砦が資本主義であること。
さらに、化学の発展と進歩のおかげで現代人の飢餓は極限までゼロに近づいたという事実。
どんなに冷害が起ころうとも、大災害が起ころうとも現代の日本ではありがたいことに餓死することはありません。
それは遺伝子を操作し、成長速度を早めたり、害虫被害を防ぐために薬品を開発したり、機械とテクノロジーによる徹底管理の賜物であり、江戸時代に恐れられた冷害による不作・凶作はテクノロジーと貨幣によって消滅した恐怖と言えるでしょう。
鈴木先生もおっしゃっていますが、本質的なところはわたしたちそれぞれが選択することができるということが重要です。
書籍全体を通して書かれている本質的な点が、農薬がダメとか、不健康とか、そういう話ではなく、そういったことを公にしないシステムだったり、なかったことにする政策上の欠陥だったりが指摘されています。
「このレモンは直接摂取すると人体に甚大な健康被害が起こる可能性がある薬物ですが、全体に添付されています。」
それを知った上で堂々と購入できるようにするべきだという話。
正確にはわかりませんが、例えばタバコだって、「吸ったらガンになりますよ」と表示した上で、納得してみなさん購入しています。
確かに、身体に入れる物。
そうあって欲しいですよね。
目の前に並べられた恐怖を肯定するための確証バイアスを働かせる前に、一人一人が持っている食の価値観、そして人生を自ら選択することができるきっかけとしてこの書籍は非常におすすめです。

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服部 洸太郎
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてシンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツへ渡りケルンにてAchim Tangと共に作品制作。
帰国後、金田式電流伝送DC録音の名手:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、録音エンジニアとしての活動開始。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックなどのアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」でサウンドデザイナー兼音響担当として映像制作チームに参加。
村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
祖父母の在宅介護をきっかけにプログラムの世界に興味を持ち、介護で使えるプログラムをM5Stackを使って自作。
株式会社 ジオセンスの代表取締役社長:小林一英氏よりプログラムを学ぶ。
現在はKotaro Studioにてアルゼンチンタンゴをはじめとした民族音楽に関する文化の研究、ピアノ音響、さらに432hz周波数を使った癒しのサウンドを研究中。
スタジオでは「誰かのためにただここに在る」をコンセプトに、誰がいつ訪れても安心感が得られる場所、サイトを模索中。