スタジオジャーナル第3回 『過酷な介護』実は芸術家としての成長機会?!

さて、第3回となりましたスタジオジャーナル。

まだ方向性は見えていませんが・・・(笑)

本日は介護の世界に関して。

ちなみに本日6月2日は本能寺の変が起こった日だそうです。

天正10年(1582)6月2日(旧暦)。

日本の歴史を大きく変えた事件の一つと言えるのではないでしょうか。

織田信長が生きていたら今とは全く違う日本が誕生していた可能性があります。

想像すると歴史のIFは楽しいですね。

話が飛んでしまいましたが、実はこの第3回の介護の記事に関しては何度も書いては消して書いては消してしてしまっていました。

というのもやはりデリケートなニュアンスを含む内容にもなりますし、この分野の記事を書くためには記載できない単語等(Googleの検索エンジンの都合上)多々あるため、とても難しかったのですが、ふと、思ったことをそのまま書けばいいじゃんということで、今に至ります。

介護関連の事件が多発

介護関連の記事を書こうと思ったのは、最近特に介護関連による事件が目立っているな〜と感じていたからです。

地域的なニュースもあるのかもしれませんが、ヤングケアラーが起こした事件、老老介護で起こった事件。

とりわけ老老介護での凄惨な事件が割合的には多いかと思われます。(統計ではなく筆者の感覚です。)

とある老老介護での裁判では、介護経験が豊富な裁判員の方がコメントで「介護は終わりのないマラソンのようなもの。命が長く続くことを願う半面、改善はなかなか見込めず、つらくなる。行政や福祉のサポートが欠かせない」と話しています。

実際に判決も懲役3年、執行猶予4年、「身体的に厳しい介護をする中で、いら立ちを抑えきれずに犯行に至った経緯は同情できる」とされています。

社会も同情の風潮になってきています。

それほど、介護は過酷だということを表しているのではないでしょうか。

おっと、ここで少し自己紹介

そもそもお前は介護の何を知っているんだ?

状態で始まった当記事でしたが、ここで筆者の介護経験を簡単に紹介したいと思います。

現在90代の祖父母を行政や福祉のサポートをかなり受けつつ一人で在宅介護しています。

二人とも要介護状態で、そのうちの一人は重介護状態で要介護5になっています。

認知症の初期症状から長年見てきて、今に至るのですが、本当に長い道のりでした。

認知症のことを知りたい方はGoogle検索では情報収集が難しくなっていますので、書籍からの情報収集が最短距離だと思います。

認知症の黎明期から中盤にさしかかるにつれての徘徊や奇声はもちろん、一般的な日常世界では経験することのない排泄物の光景なども目の当たりにしここまでやってきました。

今はおそらく認知症の末期とも言える状態だと思われますが、認知症も末期まで来るとまるで仏のような存在になるんです。

事件が起こるのはだいたい黎明期?

認知症関連の体験談や、コラムなどを見ていると、「あーーーだいたいこの辺だな〜」とか、「まだまだこれから大変な時期が続くな〜」とかわかるようになってきました。

もちろん事件に関しては詳しく取材したわけでもなく、裁判を傍聴していたわけでもありませんから、なんともいえないところはありますが、記事の内容を見ていると「なるほど、だいたいこの辺りの時期か〜」なんてなんとなく想像ができます。

本当になんとも言えない気持ちになります。

介護は本当に過酷。

認知症はが進行すると本当に大変、それに加えて身体介護がついてくると、過酷がより一層極まります。

過酷な介護は成長のチャンス!?

  • 介護は24時間365日無休の重労働です。
  • 育児とは違って終わりが見えません。
  • 莫大なお金がかかります。
  • 仕事も失います。

こうやって並べてみても過酷です。

まさに月月火水木金金状態ですよね。

しかし文句を言っても仕方ありません。

考え込んでも仕方ありません。

鬱になっても介護は止まりません。

ノンストップで続いていくマラソンなんです。

視点を切り替えましょう。

視点を変えてみると実はすごい成長の機会をもらえているのかもしれません。

親からの最後のプレゼント

一人の表現者として、大きく成長させてもらえる最高のプレゼントをもらえていると実感しています。

スタジオジャーナルなので、クリエイトにつなげていきましょう!

芸術家やクリエーターって何をする人でしょうか?

自己表現の世界・・・も一つだと思いますが、私たち「人」の表現を具現化する存在と言えないでしょうか。

私たち「人」は常に表現しています。

老若男女世界中すべての人がです。

そして存在自体が表現です。

命という存在そのものが美しいアートだと言えます。

つまり、美しいアートを表現するのに医者も弁護士も芸術家も垣根はないわけです。

「我」という視点から抜け出せなかった筆者に新しい視点を与えてくれたのが介護という世界でした。

君は気遣いが足りない・・・

これは師匠クラスのベテランアーティストの先輩から筆者が言われていたことでした。

気遣いが足りない。

介護が始まるまでは実感できませんでした。

これまでは、「私」という視点でしか世界を見ていませんでしたし、多方面から価値観を見渡す目が必要な創作活動において、一つの視点しか持っていなかったわけです。

介護をすると、常に相手の視点から想像して動かなければいけません。

そこに「私」の都合は必要ないわけです。

足の角度、腕の角度、室温、湿度、要介護5になるとすべての要素を想像力を持って行動しないと成立しなくなります。

いかに相手に対して心地よく過ごしてもらえるか?快適な時間を提供できるか?

常にこれを考えて行動しなければいけません。

これは介護をしていなかったらなかなか気づきにくい点だったと思います。

この視点を切り替える柔軟性を得られたというのは介護の最高のプレゼントの一つでした。

そして、人間はとにかく自分に弱く、自分を甘やかしてしまいます。

休みの日は1日ぼーーーーと過ごしてしまっていませんか?

休みの日は午後まで寝てしまう?なんてことありませんか?

在宅介護に休みの日はありません。

在宅介護には休みの日というのは存在しません。

まさにマラソンです。

この概念も本当に最高のプレゼントの一つであると言えます。

24時間365日行動し、考える。

自分に弱くて自分に甘い人間を強制的にブラックに追い込むことができるのが介護です。

このように書くと、辛そうですが、そこは発想の転換!

介護を続けていて、筆者は「休みの日」という概念がなくなりました。

これは今後長く続く人生において確実にプラスになると確信しています。

まとめ:介護と女遊びは芸の肥やし

介護の記事は本当に難しいですが、スタジオジャーナルとしてまとめていきます。

女遊びは芸の肥やしと昔から昭和時代まで芸の世界ではよく言われていました。

女遊びという言葉自体が現在では死語となっていますが、これは何も遊びで女性と付き合ったり両手に美女を抱き抱えたりすることではありません。

元々の語源は女形の歌舞伎役者(男性)が「舞台の上で女を演じるために、女遊びをし、女の隅々まで知り尽くすために表情や仕草を研究する。」という意味だったそうです。

つまり、「女の仕草(遊び方)を学べ」という具合です。

近年になって、不倫や浮気が男の甲斐性というニュアンスとごちゃまぜになりがちなのですが、現在でも芸の世界での意味合いは不倫や浮気が男の甲斐性というニュアンスでは使われていません。

もちろん勘違いしたままの芸人さんも一部いらっしゃるようですが・・・(笑)

なぜ女遊びは芸の肥やしになるかというと、芸人たるものいかに相手(お客さん)に気持ちよく、心地よく、楽しく過ごしてもらうかを考えなければいけません。

これは女性との付き合いの中で、いかに相手に気持ちよく心地よく楽しく過ごしてもらえるかを考え尽くすことができるため、結果的に「常に相手の視点に立って行動することができるようになる」という意味で使われています。

つまり、徹底的に追求された「気遣い」を学ぶ機会であると芸の世界では教えられているわけです。

もうお亡くなりになったとある落語家さんのインタビュー(詳細は忘れてしまいました。)動画でも聴いた記憶があります。

「女ひとり満足させられねーやつが客を満足させられるわけねーだろっつってんの」

この言葉を聞いた時に何が芸の肥やしになるのか、理解できたわけです。

これは介護にも通ずるところがあると思っています。

認知症が進んだ介護対象者に24時間快適に、気持ちよく過ごしてもらう。

  • そのために今自分ができることは何か?
  • 今相手には何が必要か?

これらを常に考え続けることによって新しい視点を手に入れ、さらに芸の肥やしになると思います。

なぜ昭和時代は不倫や浮気が許されてきたのか?

ちなみに平成、令和は芸能界でも不倫や浮気のスキャンダルが絶えませんでした。

なぜ昭和時代は許されたのか?

いえ、決して昭和時代が許されていたわけではありません。

昭和時代のクリエーターといえば、某有名写真家などは、葬式に愛人が7人参列し、正妻と楽しくお話していたというエピソードもありますが、そんなエピソードは多方面でみられることでしょう。

これは、愛人7人がそれぞれちゃんと「気遣い」に満足していたからだと言えます。

だからこそ単にスキャンダルまで発展しなかったと言えるのではないでしょうか。

きっと現代の私たちから見たら想像もできないくらいの気遣いがあったのかもしれません。

24時間相手のことを考え、24時間誰のために今何ができるか?を考え抜くという行為自体を「芸の肥やし」と呼んでいたと言えます。

女遊びは芸の肥やしは死語、令和の時代、新しい芸の肥やしといえば「介護」なのかもしれません。

介護が芸の肥やしになる時代が到来したと言えます。

24時間365日、月月火水木金金、芸の道を進むものは考え続けなければいけません。

その力を与えてくれる大きなプレゼントを今、受け取っているような気がします。

天才になるには・・・ 簡単です。(サイト内記事)

この記事を書いた人

こうたろう

元ピアニストでフォトグラファー&サウンドデザイナー
ミュージシャンだった父の音楽スタジオと、モデルだった母の仕事場であるフォトスタジオの現像ルームが子供時代の遊び場という恵まれた環境で育つ。
音楽大学を卒業後ピアニストとして活動を開始。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンにてヨーテポリを拠点に活動するシンガーアーティストLindha Kallerdahlとセッションを重ね声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後単身ドイツ・ケルンへ渡独。
ドイツから帰国後ピアノソロ作品アルバムと共に同時リリース。
金田式電流伝送DC録音の第一人者である五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入りし、活動を開始。
独立後、音楽プロデューサーとして音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を立ち上げ、タンゴやクラシックを中心としたアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
現在は元ピアニストの経験を生かしたミュージシャンのライブフォトを得意としながら、肖像写真、動物写真、自然写真を中心にミュージックビデオの制作などオーディオ技術も得意とするフォトグラファーとして活動中。